長崎市で9日午後、被爆者代表の要望を安倍晋三首相らが聞く会合があった。長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(77)は首相に尋ねた。「広島、長崎でのあいさつで、核兵器禁止条約に一言も触れていませんが、その真意を」。返ってきたのは「いま求められているのは、異なる国々の橋渡し役」という言葉。これまでの発言のコピーのように聞こえた。
「署名しないと首相公言、極めて残念」平和への誓い全文
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田中さんは会合後、報道陣に「心がこもっていない」とし、「被爆地に来て、条約に触れないというのは、私たちを無視しているのかと思う」と述べた。
長崎県被爆者手帳友愛会の中島正徳会長(88)も「条約に触れないということは、言いたくもないけれど、聞きたくもない、ということ」と批判した。
長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(78)は、昨年の会合で「あなたはどこの国の総理ですか」と迫った。
【3Dで特集】ナガサキノート あの日、人々の足取り
1945年8月9~10日に爆心地数キロ圏内にいた人を中心に約150人について、証言から推測される足取りを地図上に再現しました。一人ひとりの証言が読めます。
この日の会合後、核廃絶に逆行する米国の「核戦略見直し」(NPR)を日本政府が高く評価したことを挙げ、「米国の方ばかり向いている。これで核兵器を禁止しようとする国がどこにあるのか。言っていることとやっていることが違う」。(田中瞳子、太田航)
被爆者代表「極めて残念」
極めて残念――。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の一人、田中熙巳(てるみ)さん(86)=埼玉県新座市=は平和祈念式典で被爆者代表として読み上げた「平和への誓い」で、核兵器禁止条約に署名も批准もしないと公言する安倍晋三首相を批判した。
13歳の時、爆心地から3・2キロの自宅で被爆。父方と母方の両方の伯母たち5人が命を奪われた。
日本被団協は1956年8月に結成され、「同じ苦しみを世界の誰にも味わわせてはならない」と訴えてきた。近年は「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)を始めとする国や世代を越えた市民運動とも連帯。核廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」を広げた。核禁条約はようやく昨年、国連で採択された。
田中さんはこの日、被爆者運動の先人に思いをはせ、条約の早期発効へ力を尽くす、と改めて誓った。(佐々木亮)