波聞風問
古代から中世にかけて欧州では化学的に精錬で本物の金を作りだそうと挑む人々がいた。それは夢に終わったが、1千年前の中国では発想の大転換によって、紙幣という別の錬金術が編み出された。
ゲーテの戯曲「ファウスト」の主人公には2人の「錬金術師」モデルがいた。実在した錬金術師ヨハン・ファウスト、それとフランスで紙幣を考案したジョン・ローだ。
実業家のローは18世紀初め、フランスの経済政策をまかされる。米ミシシッピ川の開発会社を設立し、株価を高騰させ、それを担保に大量の紙幣を発行。大赤字だったフランス財政は大いに潤った。(「教養としてのゲーテ入門」仲正昌樹著、新潮社)
この国家的な錬金術を巨大システムに発展させたのが、現代の中央銀行である。いまでは紙幣を刷るだけでなく、電子データでいくらでもお金を生みだせる。ただし無尽蔵に発行はしない。紙幣でも電子データのお金でも、信用を失えばただの紙切れ、ただの記号になってしまうからだ。
秩序が変わったのはリーマン・ショック後。主要国の中央銀行は恐慌を防ぎ、経済を再生するためと、こぞって超金融緩和で異常な量のお金を生み出し、ばらまき始めた。
ショックから10年。危機は去り、いま世界経済は空前の同時好況が続く。米欧の中央銀行が超緩和を縮小し正常化を進めるのは当然だろう。
これに対し、ひとり日銀だけがいまも超緩和路線をひた走る。先月末、日銀は「強力な金融緩和継続のための枠組み強化」と名づけた新方針を発表した。異次元緩和によって市場機能や金融機関の経営に副作用が目立ってきたため、批判にこたえて修正に乗り出したのだ。
とはいえそれは苦し紛れの策でもある。当初、2年の短期決戦として始めた異次元緩和は5年過ぎてもインフレ目標を達成できず、さらなる長期戦に持ち込まざるをえなくなった。正常化が遠のいたという点で、むしろ問題はより複雑で深刻になっている。
戯曲ファウストのモデルとなったローの成功譚(たん)には続きがある。開発会社の株価バブルはほどなくはじけ、紙幣の信用が失墜。国家経済は急速に悪化した。それがフランス革命の遠因にもなった。
この「ミシシッピ・バブル」の経緯は、バブルとその崩壊がどれほど国民生活にひどい影響を及ぼすかを後世に伝える教訓となり、世界3大バブルの一つに数えられる。
遠い昔話ではない。紙幣をどんどん刷って、政府の巨大な財政赤字を穴埋めするかつてのローのやり方は、国家財政を事実上支えるいまの日銀の姿に重なる。
おかげで日本国民は、本来支払うべき税金の半分ほどを政府に納めるだけで毎年度の財政をしのげる。ありがたき錬金術かな。いや、こんな都合がよすぎる政策がずっとまかり通るのなら「魔法の杖」と呼んでもいいほどである。(編集委員・原真人)