就職活動の「ルール」となる新卒学生の採用選考の指針について、経団連の中西宏明会長が廃止をめざすと表明した。実は、今と同じように東京五輪を控えた1962年に経済団体がルールから抜け、採用が「野放し」になった時期がある。当時は学生が振り回された。今回はどうなるのか。
就活指針「廃止」に波紋 反発や評価、今後の議論曲折も
中西氏は3日の記者会見で「経団連が採用の日程について采配すること自体には違和感があると、ずっと感じていた。それは経団連の責任ですか」と言及。「もう何月解禁とは言わない。指針も目安も出さない」と語った。今後、機関決定を経て、大学側などとの調整を進める方針だ。
現行は、今の大学3年生が対象の2020年春入社組までは会社説明会を3年生の3月、採用を4年生の6月に解禁するルール。罰則はないが、経団連の加盟社が順守を求められる。中西氏は今の大学2年生が対象の21年春入社組からの廃止を想定している。
そもそも就活ルールは、企業側と学業への影響を懸念する大学側などが「就職協定」を1953年に結んだのが始まり。だが、企業側のルール破りが絶えなかった。
そして62年、日経連(現経団連)が採用試験の期日を申し合わせないと決め、協定から「撤退」。協定は事実上無効化された。64年の五輪を控え、首都高速道路や東海道新幹線などの整備を急ぐ高度成長のさなかだった。
今と同様に形骸化にしびれを切らした対応だった。「守れないような申し合わせをすることは教育上おもしろくないし、日経連としても責任がもてない」。日経連幹部の話が当時の朝日新聞に載っている。
協定の無効化で、3年生の2~3月に内定を得る学生が続出。採用の約束を意味する「青田買い」が「早苗買い」「苗代買い」「種もみ買い」と呼ばれるほど過熱した。70年代のオイルショックで内定取り消しが増えると企業が批判を浴び、再びルールの整備に動かざるをえなくなった。
今、企業の採用意欲の旺盛さは…