プロ野球・日本ハムの石井裕也投手(37)が22日、現役引退を表明した。両耳に障害を抱えながら、中日、横浜(現・DeNA)、日本ハムと14年間、投げ抜いた。通算成績は329試合、19勝19敗、6セーブ、82ホールド。
2004年のドラフト会議。当時、中日ドラゴンズの担当だった私は、指名された選手の顔ぶれを見て、少し不安だった。6巡目、石井裕也、三菱重工横浜クラブ。生まれつき、耳が不自由、とは知っていた。球場の歓声が、アマチュア時代とは比べものにならないプロだ。意思表示にも、連係にも声が何より重要になる。果たして、やっていけるのか。
左耳は音を感じない。右耳は、高性能の補聴器でやっと聞こえる程度。しかし、マウンドではあえてスイッチを切っていた。「いろんな音を拾ってしまって、かえって集中できないんです。だから、試合のときは切っています」。静寂のなか、18・44メートル先の打者と対峙(たいじ)し、左腕から繰り出す力強いボールで三振を奪う。「サイレントK(Kは、野球のスコア表記で三振を表す記号)」と呼ばれたゆえんだ。
耳が聞こえないぶん、情報を得るのは目でカバーした。連係プレーでは、相手の目と、指先の動きを見逃さなかった。取材のときも、食い入るようなまなざしで、私の顔を凝視していた。きっと、口の動きを見て、補聴器に頼らず、一言一句、逃すまいとしていたのだろう。こちらも正確に伝えようと、ゆっくり話す。石井裕の取材は他の選手より時間がかかったが、その分、思いが通じ合った気がした。
2016年、北海道日本ハムファイターズの担当になって石井裕と再会した。そのシーズンに、通算300試合登板を果たした。「高校時代から注目していたけど、ハンディがあるので、高いレベルで見極めようとしたんだよ。300試合なんて、私たちもうれしい限り」。電話の向こうで弾む、中日・中田宗男スカウト部長の言葉が記憶に残っている。石井君、お疲れさま。君の瞳を、忘れない。(山下弘展)