思想統制が進み、書物を読むことが法律違反とされた近未来。人々は自ら考えることをやめ、国家に管理された「画面」からの情報の洪水に入り浸っている。本の所持が見つかれば「ファイアマン」が出動、残さず焼却され、所有者は逮捕される――まるで現代のスマホ社会を予見したかのような1953年発表のSF小説「華氏451度」が、上演脚本・長塚圭史、演出・白井晃で舞台化され、上演中だ。葛藤を抱える主人公、モンターグを演じるのは、俳優の吉沢悠(40)。技術の進歩と電子化が加速する現代でも、人間らしさを見失わないためには。作品世界に込めた思いを聞いた。
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――映画も小説も、知る人ぞ知る名作です。
役のオファーを頂いてから、レイ・ブラッドベリの原作小説、フランソワ・トリュフォー監督の映画、長塚さんの上演台本の準備稿、その三つに、ほぼ同時進行で触れたんです。アメリカでも今年、ドラマ化されて、「なぜいま海の向こうでも?」と思った。この物語、僕たちのリアルな日常に近くて、もうSFではないんですよね。ブラッドベリが予見した世界に実社会が追いついて、スマートフォンがいつでもどこでも僕たちに情報を与え続ける。こちらも情報を求めて常にスマホを見ている。今回の舞台化は、遠い未来ではなく、いまを生きる僕たちへの警告なのではと。
――主人公・モンターグはどんな人物?
この物語の山場の一つが、(本の所持が見つかった)老女が、モンターグたちの目の前で本に火を放ち、自ら焼け死んでいく場面。モンターグの心の大きな転換点で、彼の中で「本には命を犠牲にするまでの価値が?」というもやもやが大きくなっていく。
モンターグは変わっていきます。国家権力に近い、公務員という安定した立場も、本のことが気になって、なげうってしまう。妻のミルドレッドは画面から情報を受け取る毎日が楽しいと思い込もうとしているので、その妻との関係にもすれ違いが生じる。百八十度生き方を転換させ、ついには森の中へ。安定を放り出せる人ってなかなかいないけど、それが出来る人への憧れもまた、誰しもあるはずです。
電車の乗客全員がスマホを見ている。それを見て「?」と感じるか――。現代と舞台を結ぶ経路を吉沢さんが語っています
――吉沢さんご自身は、主義の…