日中平和友好条約の発効から23日で40年がたつ。協調と対立を繰り返した日中関係は、再び改善に向かいつつある。なぜ今、日中は接近するのか。25日からの首相訪中に至る水面下の動きを追った。
9月26日朝、中国江蘇省蘇州市の高級ホテル。広大な湖のほとりを、日本の外交・安全保障政策の司令塔である国家安全保障局の谷内(やち)正太郎局長と中国外交トップの楊潔篪(ヤンチエチー)共産党政治局員が散策した。それぞれ2人の部下のみを連れて、お茶も飲みながら約1時間、ゆったりと語り合った。
両氏は前日にも約5時間半にわたり日中間の課題を議論していた。同行筋は「意見が異なる部分こそあれ、雰囲気はほぼベストだった」。会談の位置づけは安倍晋三首相の訪中への地ならしだったが、この種の協議に地方都市でたっぷり時間を費やすのは異例だ。
これにはいきさつがあった。昨年5月。谷内氏が神奈川県箱根町のリゾートホテルに楊氏を招待し、約5時間、非公式に会談した。同行筋によると、蘇州に谷内氏を迎えた楊氏は「今回は箱根の返礼です。静かな環境でじっくりと話したい」と笑みを浮かべた。
谷内氏がここまで厚遇されたのは「もちろんトップの判断があってこそだ」と、中国外交筋は明かす。
蘇州会談の2週間前、ロシア・ウラジオストクでの日中首脳会談で、習近平(シーチンピン)国家主席は日本側が初めて見るような笑顔を絶やさなかった。
同席者によると、習氏は首相に日本食や日本産の米のおいしさを語って場を和ませた。そして首相の訪中を歓迎すると自ら述べて、自民党総裁選を戦っていた首相の顔を立てた。
2010年の尖閣諸島沖での漁船衝突事件、12年の尖閣国有化、13年の安倍首相靖国神社参拝――。互いの言動が国民感情を悪化させ、日中関係は1972年の国交正常化以降、最悪と言われる状態が続いた。14年秋に安倍・習両氏は初の首脳会談にこぎ着けたものの、その後も関係は冷え切ったままだった。
米国との貿易紛争が深刻さを増すなかで、中国は日本との距離を詰め始めている。しかし、それは関係改善の起点ではない。変化は17年。先に動いたのは、日本だった。
■異端のリーダー登場、身構える…