安田純平さんは、報道陣からの質問に答えた。主なやりとりは以下の通り。
「紛争地に行く以上は自己責任」 安田純平さんが会見
特集:安田純平さん解放
――帰国後、「自己責任」など匿名のバッシングがある。受け止めは
私自身の行動で、日本政府や多くの皆さまにご迷惑をおかけした。批判があるのは当然だ。事実に基づかない内容もあるので、事実に基づいてというお願いはある。紛争地に行く以上、「自己責任」だと考えている。日本政府が救出するのは難しいことで、退避勧告も出している。自分自身に起こることは自業自得だと思っている。
――今後も紛争地で取材するつもりがあるか
まったく白紙。わからないですね、まだ。
――結果的にシリアに入ろうとした直後に拘束された。現地ガイドと契約した当初から、だまされていたのではないか
ガイドがいない間に別の方向に入ってしまったので、完全に自分の凡ミスだ。すべて仕組まれたというのはどうかな、と思っている。
――身動きもとれない中で絶望するようなこともあったと思うが
身動きができないときはかなり腹が立ち、ドアを蹴った。「そんなに音を聞かれたくないなら鼓膜を破ってくれ」と言ったが無視をされた。そのときは、絶望していた。
――相手方の組織の人数、年代は
最初の民家には5人。連絡役や、動画、写真を撮りに来る人がいた。そこから移った大きな施設では、100人単位の囚人がいたように思えた。(組織側も)かなり人数が多かった印象だ。年代は10代もいたし、年配の人物もいた。
――戦場からの報道は使命だと思うか。報道の必要性をどう考えるか
あくまで私自身が知りたいこと、疑問に思っていることを現地で取材をして、それを皆さんに知っていただくことができればいいと思ってやっている。
国家が人を殺すのが戦争。それがどのような影響をおよぼし、なぜ人々が殺されなければいけないのかを判断する材料は民主主義にとって絶対に必要。難民が出れば日本にも影響があると思う。地球上で紛争があれば、現地に入るジャーナリストの存在は必要というのが私の考えだ。
――家族の活動について聞いて、今後の活動に変化はあるか
家族には何もしないように言っていたが、立派な対応をしてもらったと感謝している。活動は自分で判断しているが、両親もかなりの年齢で、拘束されている間もそのことはずっと気にかけていた。親孝行もしないといけないと考えており、今後の取材の仕方をもうちょっと慎重に考えることはあるかもしれない。