今年1月に102歳で死去した元朝日新聞カメラマンの友松進さんが、戦地で撮影した未公表の写真を自宅のアルバムに保管していた。「(秘)」などと書き添えられ、当時公表できなかったとみられるコマも含まれている。
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友松さんは1915年5月生まれ。京都商業学校や立命館大学専門部に通いながら、京都通信局(現・京都総局)で働き、同専門部を37年3月に卒業。戦時中は特派員として39~40年に中国南部戦線、42年にジャワ島上陸作戦に従軍した。敗戦直前には中国東北地方へ徴兵され、シベリア抑留も体験している。
復員後も大阪本社写真部員として働いた友松さんは、70年に定年退職。今年1月31日に老衰のため102歳で死去した。大阪府豊中市の自宅を整理していた遺族らが、従軍取材の写真アルバムを見つけた。
連合軍捕虜や撃沈された日本の輸送船団の写真のそばには「(秘)」や「極秘」と書かれており、公表が前提ではないとみられる写真も多い。友松さんが撮影者だと確認できる当時の従軍写真は大阪本社に少なくとも数十枚残されているが、それらと雰囲気の違う被写体が多くを占める。
東南アジアの近代史に詳しい早瀬晋三・早稲田大学大学院教授は「フランスが第1次世界大戦の勝利を祝って植民地に作った碑など、記念撮影的なコマの中にも従来知られていない文物が写っており、貴重な記録だ」と話す。
42年3月のジャワ島上陸作戦…