19世紀の長崎で活躍したドイツ人医師シーボルト(1796~1866)に宛てた妻たきの手紙が、オランダで見つかった。シーボルトが国外追放された直後に書かれたとみられ、愛する人と引き裂かれた悲しみを切々とつづっている。
「鎖国」期の日本で様々な資料を収集していたシーボルトは1828年、日本地図を持ち出そうとして露見し、国外追放となる。今回見つかったのは、帰国途中のインドネシア・バタビア(現在のジャカルタ)から、日本に残した妻、其扇(そのぎ、たき、滝)に出した手紙に対する返事。「寅(とら)十一月十一日(1830年12月25日)」の日付があり、帰国したシーボルトにたきが送った最初の手紙とみられる。
ライデン大学図書館が所蔵していたもので、西南学院大の宮崎克則教授(日本近世史)が現地で確認した。
手紙は女性のくずし字で記され、約3・4メートルに及ぶ。「涙が出ない日はない」「おいね(シーボルトとの娘、イネ)はなんでもわかるようになり、毎日あなたのことばかり尋ねます。私もあなたへの思いを焦がしています」などと、切ない思いがしたためられている。
出島に出入りしていたたきは、シーボルトとの間にイネをもうけた。追放された夫の帰りを待ったが、その後再婚した。宮崎さんは「シーボルトの私生活がわかる一級資料だ。行間からは彼女のしっかりした性格、夫への思いがよく伝わってくる」と話している。(編集委員・中村俊介)
たきからシーボルトへの手紙(部分)
3通の手紙は届きました。ありがたく思っています。お元気でいらっしゃると聞いて、とてもめでたく思っています。私とおいねも無事に暮らしています。船の旅を心配していましたが、滞りなくバタビアにお着きになって安心しました。
不思議なご縁で数年間おなじみになっていたところ、日本でいろいろと心配事が起こり、あなたは去年帰られました。涙が出ない日はありません。
お手紙をもらい、あなたのお顔を見た気持ちになり、とてもゆかしく思います。この手紙をあなたと思って、毎日忘れることはありません。おいねはなんでもわかるようになりました。毎日あなたのことばかり尋ねます。私もあなたへの思いを焦がしています(中略)。
私とおいねのことは心配しないでください。おじさんのところにいますからご安心ください。病気にならないよう祈っています。どうした縁でこうなったのでしょう。そのことばかり考えて暮らしています(中略)。
来年のお手紙を、首を長くして待っています。私は朝と夕にあなたの息災と延命を祈るよりほかはありません。来年はちょっとでもいいからお手紙をください。ひとえに待っています。申し上げたいことはたくさんありますが、次の手紙にします。名残惜しい筆を止めます。めでたくかしく。
寅十一月十一日 其扇
シーボルト様
(以下略)