建築家は40代で若手、30代ならまだ駆け出しと見られがちだ。多額の投資を伴う建設行為では、経験と信用が大切だからだ。なのにパリを拠点にする田根剛(たねつよし)さんは、完成作3件の39歳ながらメディアに頻繁に登場し、東京では美術館とギャラリーで個展が開催中だ。田根剛って、一体何者?
田根さんが仲間と組んでエストニア国立博物館の設計コンペに挑んだのは、26歳のときだった。隣地に残るソ連時代の滑走路を空に向かって延ばしたような、幅70メートルのガラスのスロープ状の建物を提案。2006年のコンペでの勝利が注目されるきっかけとなった。博物館は16年に完成した。
12年には東京の新国立競技場のデザイン競技に参加し、緑の小山のような「古墳スタジアム」で驚かせ、最終11案に残った。
こうした大胆さが、持ち味といえる。若手建築家にはバブル崩壊や大震災を経て、環境や歴史に即した堅実なデザインも多いが、その中では際だった存在だ。
若くして注目を浴びている田根剛さん。記事後半では、インタビューの一問一答も掲載しています。魅力は何か、建築の考えは…専門の記者が尋ねました
東京・初台の美術館・東京オペラシティアートギャラリーの「田根剛 未来の記憶」展(12月24日まで)では出世作などの模型が大空間に並ぶ。同館で建築展を開いたのは、ザハ・ハディドさんや伊東豊雄さんら超大物で、本人も「早すぎると思った」と明かす。
南青山のTOTOギャラリー・間でも同名展が開催中で、こちらは思考の過程を示す、模型や資料がてんこもりだ(同23日まで)。
雑誌特集などのほか、TBS系「情熱大陸」などテレビでも取り上げられるなど、メディアも注目。今回の個展前後にも二十数本の取材を受けたという。
田根さんは設計の鍵に、「記憶」を挙げる。街や敷地の記憶を古代から探り、例えば住宅という建物の歴史も調べる。そうした考古学的、人類学的リサーチを土台に大きくジャンプして建築にする。エストニア後は「建築は未来をつくる」という思いも強くなった。
ギャラリー・間の筏(いかだ)久美子代表は、「常に原点に立ち返って流されない。芸術性だけでなく、知的に掘り下げている」と評価する。
個展会場に「まだ誰も見たことのない」「想像すらしたことのない」建築を造りたいという壮大な一文を掲げる。将来の目標は「世界遺産にたどり着けたら」。「子どものような無垢(むく)さ」を指摘する人もいる。
歩みも、個性的だ。
東京に生まれ、プロサッカー選…