米プロバスケットボール協会(NBA)で日本選手として14季ぶりにプレーした渡辺雄太の「先輩」が、2年間の会社員生活を経てBリーグに挑んでいる。名古屋ダイヤモンドドルフィンズの笠井康平(25)は高校時代、渡辺の1学年上だった。後輩からの後押しもあり、実業団からプロ挑戦を決意した。
香川・尽誠学園高で2年間、2人は一緒にプレーした。笠井が3年の時に全国高校選抜で準優勝。笠井は司令塔のポイントガードで「雄太が点を取りやすいよう、ストレスなくプレーさせるのが、勝てる近道だったので、ずいぶん意見交換した」。卒業する時には渡辺から「また一緒にプレーできたらいいですね」と送り出されたという。
笠井は強豪の青山学院大に進み、主将も務めた。卒業は2016年4月。いよいよ9月からBリーグが始まる、というタイミングだったが、実業団チームを持つ四国電力へ進んだ。主力選手の退部など「大学でいろいろあり、そのしんどさにバスケットに対する熱が負けちゃった」という。
地元企業への就職を母は喜んでくれた。職場は自宅から約10分で、練習は終業後に土日を含めて週4日。経理で繁忙期には午後10時まで残業があった。「4年くらいバスケットをやったらもういいかなと思っていた」
だが、次第に物足りなさを感じるようになった。「社会人として学ぶことは多かったものの、バスケットでは成長がほとんどない環境。同い年がBリーグで活躍した話も伝わってくる。バスケットから少し離れて『プレーできる間は思い切りやれるところでやった方がいいのでは』と考えが変わってきた」
今年初めにプロ挑戦を決意。80キロに増えた体重を71キロまで絞った。心配する母を時間をかけて説明し、元クラブチームでプレーしていた父からは応援された。職場の理解も得て7月に退社。名古屋Dからオファーがあり、偶然、渡辺と同じタイミングでプロの世界へ飛び込むことになった。
実は渡辺からはずっと「Bリーグでやらないんですか」と言われていた。LINEでプロ入りを伝えると「ご縁があったら一緒にできるのを楽しみにしています」と返ってきたという。
名古屋Dではポイントガードの3番手。開幕から出場機会を得ていたが、少しずつプレー時間が減ってきている。「元々すべてうまくいくと思っていたわけじゃない。どこかやらされている感じだった学生時代とは違う。満足いくまでやり切る」。太ももと尻が大きくなり、チーム支給のスーツのズボンは3度作り直した。「学ぶことがいっぱいある」。後輩と舞台は違うが、挑む姿勢は同じだ。(松本行弘)