1995年1月の阪神・淡路大震災で地表に現れた活断層の一部を残し、公開している兵庫県淡路市の「野島断層保存館」の入館者が年々減っている。昨年度は過去最少の約13万6千人で、20年前の開館当初の20分の1。地震のすさまじさを伝える遺構をどう継承していくのか、試行錯誤が続いている。 約140メートルにわたり保存された高さ数十センチの黒々とした断面。市の野島断層活用委員会の加藤茂弘委員長(58)が入念に見て細かく指示を出す。「ここは樹脂がはがれたのかな」「ダンゴムシの死骸が多いね」 毎年末に約1週間かけてメンテナンスをし、断層をもろくする虫や雑草を駆除したり、傷んだ部分に樹脂を塗り直したりする。「保存方法の検討は手探りの状態だった」と加藤さん。「断層を見れば、誰もが大地の力のすごさを実感し、備えの大切さを理解できる。減災意識の向上に果たしてきた役割は大きい」と話す。 野島断層は95年1月17日、震度7の激しい揺れとともに淡路島北部の旧・北淡(ほくだん)町(現・淡路市)の地表に現れた。全長約10キロにわたり、地表が50~130センチせり上がり、横に1~2メートル動いた。北淡町では3分の2の家屋が全半壊し、39人が犠牲になった。 地震の「物証」を後世に残そうと、県と同町が断層の一部約140メートルを鉄骨の建物で覆い、保存館とした。周辺も北淡震災記念公園として整備され、98年4月にオープン。断層は国の天然記念物になった。 1年目は明石海峡大橋の開通も重なり、約282万7千人が入館した。だが2年目は約119万人、3年目は約68万3千人に激減。2011年の東日本大震災の後は少し増えたが、また減少傾向が続く。 それでも、入館者は一昨年8月に延べ900万人を突破した。職員や被災者ら約20人の語り部たちは、東北や熊本にも足を運んで震災について学び、自らの言葉で教訓を伝えている。 震災記念公園の米山(こめやま)正幸総支配人(52)は「近年は語り部の体験を聞くだけでなく、日頃の備えなどについて突っ込んだ質問をする熱心な見学者が目立つ。防災に関心のある人たちの入館は増えている」とみる。 米山さんは震災当時、消防団員として家屋の下敷きになった人の救助にあたり、自身も語り部として活動している。来館者を待つだけでなく、自治体や企業の防災研修へも出向く。講演を聞いた人が「断層を見たい」と訪ねてくることもある。「災害は今も各地で多発している。保存館を拠点に全国で体験を語り続け、教訓を多くの人に役立ててもらいたい」と願う。 ■保存運動で残った… |
野島断層保存館、減り続ける入館者 阪神大震災の遺構
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