1949(昭和24)年の火災で焼損した奈良県斑鳩(いかるが)町の法隆寺金堂壁画(7世紀、国重要文化財)が、一般公開される方針が固まった。27日に寺で開かれた「法隆寺金堂壁画保存活用委員会」(委員長=有賀祥隆・東京芸術大学客員教授)で、大野玄妙管長が明らかにした。壁画を安置する収蔵庫の耐震診断結果が良好だったことなどを受けたもの。これまで焼損壁画は原則非公開だった。時期は未定だが、94(平成6)年以来の本格的な公開となる。
【特集】法隆寺、金堂壁画を調査
火災から70年 法隆寺金堂壁画の保存、中間報告へ
壁画は7世紀の飛鳥時代に金堂内の12面の壁に描かれた現存する国内最古の仏教絵画で、インドのアジャンター石窟群や中国の敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)と並ぶ世界的な傑作。49年の火災で彩色が失われたが、飛鳥時代の美を現代に伝える文化遺産として、52(昭和27)年に完成した境内の収蔵庫に運び込まれ、保存されてきた。
寺は2015年、焼損壁画の保存環境や劣化の状態などを探るため、文化庁と朝日新聞社の協力で活用委を立ち上げ、初の科学的な総合調査を進めてきた。
調査の過程で、寺が昨年、収蔵庫の耐震診断を専門の調査機関に依頼。当時総工費約3518万円をかけた鉄筋コンクリート造り一部2階建ての建物は、マグニチュード(M)7クラスの大地震に耐える強度を保っていることがわかった。また、焼損壁画が収蔵庫に収められた直後の54年に撮影されたとみられるガラス乾板12枚が、収蔵庫内で新たにみつかった。焼損壁画の実物と比較したところ、目立った劣化や損傷が見られなかった。
27日の委員会では、有賀委員長が「法隆寺は2021年に聖徳太子が亡くなられて1400年の御遠忌(ごおんき)を迎える。それまでに公開の提言をまとめられれば」と述べ、異論は出なかった。寺側は提言を受ければ、収蔵庫内の環境対策を施し、公開に踏み切る方針。
焼損壁画は原則非公開だが、94年11月、新たな仏堂建立の勧進事業の一環として、22日間にわたって約1万人限定で公開されたことがある。
また、この日の委員会では、壁画の美を紹介する寺宝の展覧会を2020年前半をめどに法隆寺や朝日新聞社などが開くことや、奈良県が19年度から陶板で壁画の複製をつくることも報告された。(編集委員・小滝ちひろ)
◇
〈大野玄妙・法隆寺管長の話〉 耐震診断の結果、収蔵庫が丈夫と聞き安心した。恒久的公開が望ましいので、2021年ごろには方向性がまとまり、文化財保護の重要性を国民に知ってほしいと願っている。
◇
〈法隆寺金堂火災〉 飛鳥時代に創建された法隆寺金堂は1934年から大修理に入り、40年から当代一流の画家による壁画の模写が始まった。49年1月26日早朝に炎上し、極彩色だった壁画の彩色が失われ、一部は損傷した。55年から1月26日が文化財防火デーとなり、全国の社寺などで防火訓練が実施されるようになった。