元内閣官房副長官・的場順三氏
――「平成」への改元で、内閣内政審議室長として政府の実務を担いました。その元号が間もなく終わろうとしています。
「元号に多くの国民が関心を持ち、テレビも週刊誌もこぞって取り上げている。今昔の感だ。昭和から平成になった30年前は、天皇制や元号への反対運動がいまより目立っており、政府の担当者として元号の存在が薄れていくのではないかと不安を抱いていた。しかし、平成は浸透し、元号の定着をもたらした」
平成の次の元号、新天皇へ政府が事前に伝えるのは…
予想ブーム、カジュアル化する元号 権威との一体感薄れ
「猛虎元年」社会に溶け込んだ元号 西暦と使い分けたら
――前回は昭和天皇の長い闘病もありました。
「退位による代替わりとなる今回と違い、前回の改元は天皇崩御と直結していた。日本全体を自粛ムードが覆う中、改元準備が表面化することがあってはならなかった。1988年9月19日に昭和天皇の病状が悪化してから、翌年1月7日に崩御するまでの111日、頭上に漬物石が乗っているような緊張が続いた」
――「平成」はどのようにして決まったのですか。
平成に代わる新しい元号の公表まで3カ月を切った。新憲法下での「国民の元号」という意識は定着したのか。事前公表をめぐり政府と保守派が対立するなど、まだまだ元号には根深い問題が残る。時代の象徴として元号を語る意味や暦のありようについて改めて考える。
「1月7日午後1時過ぎ、有識…