「梵字」部分に金箔の供養塔、全国初出土 金沢の遺跡で——贯通日本资讯频道
您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 社会(日语) >> 正文
「梵字」部分に金箔の供養塔、全国初出土 金沢の遺跡で

金沢市の千田北(せんだきた)遺跡で、鎌倉時代ごろ(13世紀ごろ)につくられたとみられる金箔(きんぱく)で飾られた木製の笠塔婆(かさとうば)がみつかった。市埋蔵文化財センターが14日発表した。笠塔婆は死者を弔うために墓地や街道沿い、広場などに建てられる供養塔で、金箔をあしらったものの出土は全国で初めて。専門家は、絵巻物や文献でしか知りえなかった木製の笠塔婆の建てられていた景観が出土資料で明らかになったとして注目する。


センターによれば、みつかったのは笠塔婆を構成するスギでつくられた額(がく)(長さ70センチ、幅19・3センチ、厚さ1・7センチ)や笠(推定直径約96センチ)など計30点。ほぼ完全な復元ができ、少なくとも3基の笠塔婆があったとみられる。


額の1点には、上半部に阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す古代インドのサンスクリット語の文字(梵字(ぼんじ))が刻まれていた。他の2点にも、観音菩薩(ぼさつ)あるいは勢至(せいし)菩薩を示す梵字がそれぞれに彫られ、3点で阿弥陀三尊を表現したとみられる。いずれも梵字部分に金箔が押されていた。


加賀国(石川県南部)は室町時代になると、本願寺門徒による一向一揆の勢力が強まり、遺跡の周辺では有力寺院の木越光徳寺(きごしこうとくじ)が拠点を構えていた。元興寺文化財研究所(奈良市)の狭川真一副所長は「当時の仏教社会の最新知識だった笠塔婆などを採り入れた在地の有力者がいたと思われ、のちの一向一揆にも通じる信仰心が、鎌倉時代にはすでに醸成されていたのではないか」と話す。


笠塔婆は17日午後2~3時と午後3時半~4時半の2回、金沢市上安原南の市埋蔵文化財センター(076・269・2451)で一般公開される。(田中ゑれ奈)


新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

发表评论】【加入收藏】【告诉好友】【打印此文】【关闭窗口

相关文章

押し寄せる客に、過疎集落は キリシタン遺産登録1年
長崎県庁跡「まず調査を」 かつて奉行所、イエズス教会
女性は仏になれない…仏典に残る性差別 どうすれば
名古屋城の現天守解体、国が近く結論か 22年完成は?
戦前の発禁本、元特高がひそかに保管 孫へのメッセージ
古墳時代のそり出土、石室を運搬か 木更津で国内2例目
太宰府すごいじゃない…「令和」の宴、再現活動20年
元号記憶は大変、歴史の理解遠ざける 保立東大名誉教授
令和、中国台頭で「日本」を強く意識した 磯田道史さん
硫黄島で日米合同の戦没者追悼式 太平洋戦争の激戦地
遺骨1万柱超眠る硫黄島 遺族は人目もはばからず泣いた
あの道頓堀の町並みも焦土に…大阪大空襲、Q&Aで知る
ノートに犠牲者名、15年で6千人分 大阪大空襲74年
東京大空襲、いちから学ぶQ&A 100万人が家を失う
米人類学者夫妻はなぜ忘れられたのか 戦前の農村を調査
国宝に太鼓判? 「金印」のニセモノ疑惑、論争に新見解
天守のエレベーターで激論 忠実な復元かバリアフリーか
極秘文書の欄外にあった新事実 戦時の思想検事が残した
攻撃成功の報に歓声、残った「なぜ」 真珠湾攻撃77年
敵兵殺し「食おうじゃないか」 インパール作戦を語る
日本に伝わる前の仏教知る鍵 ウズベキスタンで壁画発見
満蒙開拓団「性接待」の碑文完成 敗戦直後の悲劇伝える
仁徳陵古墳、初の共同発掘調査へ 宮内庁と大阪・堺市
「差別の恐れ」県審議会が異例の指摘 名古屋城EV問題
そろばんの謎の文字、磯田道史さんと追い…見つけた災い