77年前の12月8日に始まったアジア・太平洋戦争。火ぶたを切ったのは、ハワイの真珠湾攻撃ではなく、英領だったマレー半島北東海岸のコタバルへの奇襲上陸だ。その作戦に参加した元日本兵の本村喜一さん(98)=東京都八王子市=は後に、ビルマ(現ミャンマー)で展開されたインパール作戦にも従軍し、餓死した多くの日本兵を目撃した。これまで家族にも話さなかった戦場体験を初めて語り、「戦争は二度とやるな」と絞り出すように言った。
特集:戦火の残響
本村さんは福岡県久留米市の出身。久留米商業高校を卒業後、商社に勤め、20歳のときに歩兵として陸軍に入隊した。
1941年12月8日未明、コタバル沖の荒れ狂う海から、陸を目指した。敵の陣地からビュンビュンと弾が飛んで来る。銃を背負い、鉄帽をかぶって海からはい上がり、海岸を匍匐(ほふく)前進。空からの爆撃も続き、生きた心地はしなかった。すぐ隣にいた中隊長が首を撃たれて死亡した。
全滅したのではないかと思うほどの攻撃を受けたが、翌日には日本軍は飛行場を占拠、上陸作戦は成功した。その後、マレー半島を南下してシンガポールを攻略、42年には英国の植民地だったビルマに入った。
44年3月に始まったインパール作戦では、インド国境近くまで侵攻。物量に勝る英印軍と向き合い、崖に張り付いて爆撃をしのいだ。補給はなく、食べるものがなかった。野草を口に入れるしかなかった。「もうこの戦争はダメだな」。仲間と言い合った。
あるとき、偵察に来た敵兵2人…