家族に「燃やせ」と伝えた日記 水俣病闘士の怒りと愛——贯通日本资讯频道
您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 社会(日语) >> 正文
家族に「燃やせ」と伝えた日記 水俣病闘士の怒りと愛

[PR]


水俣病の原因企業チッソに直接償いを求める自主交渉派の先頭に立ち続けた川本輝夫さんが亡くなってから、18日で20年になる。残された16冊の日記には、「闘士」としての怒りや苦悩だけではなく、家族に思いを寄せる父親の優しいまなざしも刻まれていた。


大学ノートに記された最初の日付は、1968(昭和43)年9月14日。水俣病をチッソの廃水が原因の公害病だと政府が正式に認定したのは、直後の26日だった。


「S43・9・14 水俣病問題で悩む」との一文で始まる。輝夫さんの父、嘉藤太(かとうた)さんが重篤な水俣病患者に見られる狂騒状態で亡くなり、3年が過ぎていた。




1968年9月14日と18日の記述。18日には「金が欲しいか」と人権擁護委員に言われたとある。付箋(ふせん)で隠しているのは委員の名前=2018年9月7日午後3時38分、熊本県水俣市、奥正光撮影



9月18日には「人権ヨウ護委員に相談に行くも、金が欲しいかと言われる」とある。翌年6月には、認定漏れの患者たちと会った場面が書かれていた。「不安、憤り、非情、冷コクを訴えられ、涙なしには聞けないことばかりだ」「一日中、水俣病に思考をめぐらす…… 見えぬ権力が、人としての生きる権利を如何(いか)にむしばんでいるか」



新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

发表评论】【加入收藏】【告诉好友】【打印此文】【关闭窗口

相关文章

無人島の甘夏、移住者が復活 収益は地区へ「恩返しに」
「上司がパワハラ」消防の男性自殺 妻が真相究明を請願
11人死亡の老健理事長、別の社福法人「私物化」で解職
「なんで生んだ」親を恨んだ過去 全盲の男性が語る人生
夢だったウェディングドレスに導かれ 今、誰かのために
「負けてたまるか」熊本地震で被災、3兄弟が温泉再開
落ちてきた梁、祖父母守りたかった 自宅跡通い続ける孫
熊本城の小天守、再建始まる 熊本地震で柱や石垣が損壊
被災者の8割近く「不安」、経済面が最多 熊本地震3年
新居完成の半年前、仮住まいで先立った妻「力が入らん」
東京に行くはずだった妻、襲った本震 遺骨と一緒に家へ
仮設住宅の入居期限を更に1年延長 熊本県、国に申請へ
被害を受けた益城で献花や町歩き 住民「風化も感じる」
益城で「4.14」のとうろう 広島の被災地からも
再会の約束、もうかなわない 熊本地震発生時刻に追悼
熊本地震から3年、益城町に献花台 町民らが故人しのぶ
それでも見つめ続けた町の人 熊本地震で全壊の写真店
園児に暴言・皿投げつけ・閉め出し 保護者が録音し発覚
女子ハンドPRのコピー「ひわい」と批判 謝罪文を掲載
レオパレス施工不良、「みなし仮設」でも 熊本の被災者
発言したら嫌がらせに下着が届く 女性7人「屈しない」
「飲酒運転ダメよ~ダメダメ」ストラップに ただし非売
4社競合する熊本のバス網、市もコミット言及 将来像は
水俣病に幼子奪われ「仇を打つ」 50年前、母の叫び
熊本城の石垣再建へ、石のつくり直し完了は20年後