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家族に「燃やせ」と伝えた日記 水俣病闘士の怒りと愛

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2019-2-17 12:17:58  点击:  切换到繁體中文

 

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水俣病の原因企業チッソに直接償いを求める自主交渉派の先頭に立ち続けた川本輝夫さんが亡くなってから、18日で20年になる。残された16冊の日記には、「闘士」としての怒りや苦悩だけではなく、家族に思いを寄せる父親の優しいまなざしも刻まれていた。


大学ノートに記された最初の日付は、1968(昭和43)年9月14日。水俣病をチッソの廃水が原因の公害病だと政府が正式に認定したのは、直後の26日だった。


「S43・9・14 水俣病問題で悩む」との一文で始まる。輝夫さんの父、嘉藤太(かとうた)さんが重篤な水俣病患者に見られる狂騒状態で亡くなり、3年が過ぎていた。




1968年9月14日と18日の記述。18日には「金が欲しいか」と人権擁護委員に言われたとある。付箋(ふせん)で隠しているのは委員の名前=2018年9月7日午後3時38分、熊本県水俣市、奥正光撮影



9月18日には「人権ヨウ護委員に相談に行くも、金が欲しいかと言われる」とある。翌年6月には、認定漏れの患者たちと会った場面が書かれていた。「不安、憤り、非情、冷コクを訴えられ、涙なしには聞けないことばかりだ」「一日中、水俣病に思考をめぐらす…… 見えぬ権力が、人としての生きる権利を如何(いか)にむしばんでいるか」




 

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