夫と娘を水俣病で亡くした認定患者の上野エイ子さん(90)=熊本県水俣市=が50年前に書いた手記が、このほど見つかった。1968年9月26日に政府が、チッソの廃水が原因の公害病と認めた直後に書かれたもの。やりきれぬ思いが赤裸々につづられている。 特集:知る水俣病 紙面特集:知る水俣病 《昭和四十三年九月二十六日水俣病公害認定 おそすぎた認定発表と人は云う。又待ちに待った犯人がはっきりした事に「良かった」と喜んだ人もいたと云う。》 書き出しは、政府による公害病認定について、家族を奪われた上野さんの率直な気持ちが記されている。 《嬉しいとは思いません。公害認定がおりて、死んだ子供が生きる訳じゃないでしょう。私は夫や良子にはっきりちかったのです。必ず仇を打ってやると(中略)一生私達の心の傷はなおりません。》 手記は原稿用紙10枚分。欄外に「43年暮(未発表)」との記述がある。水俣病資料館が、不知火海総合学術調査団長を務めた歴史家の色川大吉さんから、2016年に寄贈を受けた資料の中に入っていた。 上野さんの夫はちょうど60年前の1958年9月、部屋の壁を突き破った手足を血だらけにしてもがき苦しんだ末に死んだ。まもなく長女の良子(りょうこ)さんが生まれたが、数カ月後に脳性小児まひと診断された。身を寄せた実家では母屋に入れてもらえず、穴だらけの小屋で子を抱いて過ごした。 61年3月、良子さんは夜中に… |
水俣病に幼子奪われ「仇を打つ」 50年前、母の叫び
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