この2月中旬、千葉市の幕張メッセであった食品の大きな展示会。日本中から自信の品が集まり、商談が進む。
長崎県の産品が並ぶ一角に、とある果実でつくった商品が並んでいた。ゼリー、サイダー、アイスクリーム、そして、100%果汁の4品だ。
コンビニやスーパーなどの流通業者が足をとめていく。聞いたことのない果実だ。パッケージに教会の絵が描かれているのは、なぜ?
3日間で40件超の申し込み
ブースにいる担当者が、この果実について説明する。おいしさはもちろんだが、教会にからむ物語に業者は心を動かされ、つぎつぎに「うちで扱いたい」と申し出ていく。
会期の3日間で40件を超える申し込みがあった。担当者たちは、うれしい半面、思った。困った、こんなに対応できないぞ~。
「ゆうこう」
これが、その果実の名である。長崎市の限られた地域で、細々と栽培されてきた拳ほどの大きさの柑橘(かんきつ)類だ。
果汁は、いくつかのホテルや飲食店で使われてきたものの、長崎市民でさえ、その存在を知らない人が多い。
そんな知られざる果実でつくったゼリーやサイダーなど4品が、試験販売を経て3月中旬、長崎観光のお土産品として、長崎県庁の売店などで本格的に売り出された。
酸味は、かぼすやスダチほど強くない。香りは、ゆずほど強くない。「特徴のなさ」(関係者)が奏でるおいしさが、ゆうこうにはある。
そして……、苦難の歴史がある。潜伏キリシタンたちが守ってきた果実なのだ。
畑の隅に自生「同じものはない」
長崎市で「辻田白菜」などの伝統野菜や果物をつくって半世紀あまり。そんな中尾順光さん(75)に15年前、市役所の人たちから声がかかった。「長崎に『ゆうこう』という果実があります。そのルーツを調査したいので協力してほしい」
中尾さんは、ゆうこうという名を聞いたことはあった。だが、どんな果実なのかは知らなかった。
中尾さんたちは調査を始めた。市内の山の中や、畑の隅に、何本か果樹が自生していた。地域の人に、名を漢字でどう書くのか聞いた。ある人は「優薫」と言った。また、ある人は「有効」と、そして、ある人は「友好」と。文献を探したが、見つからなかった。果実の名は、ひらがなで書くしかなかった。
長崎県の協力を仰いで調べを進めると、同じ果実はどこにもないとの結論が出た。中尾さんは思った。
〈生半可な調査では済まないぞ〉
調査に力を入れていくと、潜伏キリシタンがかかわっている、と分かってきた。キリシタンの末裔(まつえい)や地域の長老たちに話を聞いた。ある80代後半の人が、証言した。
「私の祖父が『子どものころにはこの木があった』と言っていました」
キリシタンたちが密(ひそ)かに守ってきたんだ。果実を調味料や薬として使ってきたに違いない。
〈えらいこっちゃ〉
収穫したのに捨てるしか……
それまで中尾さんは、潜伏キリシタンに、さしたる関心はなかった。日本史より世界史が好きだ。キリスト教徒の友だちはたくさんいるが、中尾さんは仏教徒である。
〈キリシタンたちが命がけで守ってきたんや。世の中に出せんかなあ〉
中尾さんは、若手の熱血果樹農家7人に声をかけ、「長崎市ゆうこう振興会」をつくった。会長は中尾さん。メンバーたちは自生していた100本ほどの果樹で栽培をはじめ、苗を植えていった。
学校や、さまざまな集まりで、ゆうこうの話をした。果実をホテルやレストランに持って行くと、何軒かに使ってもらえることにはなった。
けれど、収穫した果実の多くは捨てるしかなかった。手塩にかけてつくったのに……、つらい。メンバーから「栽培をやめたい」と弱音が出た。
その気持ちは、中尾さんには痛いほど分かった。でも、メンバーたちに言った。
「俺たちが命がけで守らんと、誰が歴史をつなぐんや。頑張ろうや」
メンバーたちは、歯を食いしばって栽培しつづけた。時は流れ……。
焼き魚に、一絞り
2016年。ゆうこうを使った新しい土産品の開発が始まった。地域の市と町や商工会、銀行などが集まった「長崎地域雇用創造協議会」の、厚生労働省が委託する3年プロジェクトとして。
長崎にしかないことと潜伏キリシタンというキーワードは、観光客に受け入れられるはずだ。地域の活性化と新たな雇用につながる、と考えたのだ。
お土産店、喫茶店の店主、協議会の担当者らで考えていった。もちろん中尾さんも加わった。試作品をつくっては、全員集合、試食して意見を出し合った。
集まりの後の宴会に、ゆうこうは必需品だ。焼き魚にゆうこうの果汁をかけ、しょうちゅうにも、ゆうこうを一絞り、である。
「うまかねえ」
「うまかあ」
世界遺産が追い風に
17年。遠藤周作の小説「沈黙」を原作にしたマーティン・スコセッシ監督の映画が、公開された。プロジェクトのメンバーたちは映画を見て、心が震えた。中尾さんは思った。
〈踏み絵を踏めなかったキリスト教徒は、映画で描かれた以上に惨(むご)いことをされたこともあったはずだ。俺たち、頑張らんといかんばい〉
18年6月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された。それが追い風となり、「ゆうこう」を使うホテルや飲食店が増えていく。
土産品の試作、試験販売も佳境に入った。ゆうこうゼリーづくりは、中尾さんの農園のちかくにある社会福祉法人「ゆうわ会」が担当した。通所している障がい者ができる仕事だと、手を上げたのである。中尾さんから果実のバトンタッチを受け、果汁をしぼってゼリーをつくっていく。ゆうこうの酸っぱさと砂糖でつける甘さとのバランス加減が、難しく、何回も作り直した。
「やわらかな酸味と、まろやかな甘みを実現した自信作です」とレシピづくりを担当した福田雅孝さん(35)。
やみくもに増やさない
そして、19年。冒頭の展示会を経て、3月、土産として本格発売、長崎市の主なお土産店に置かれ始めた。
大手の流通業者などから、ほしい、ほしいとの声が相次いでいる。けれど、ゆうこうの原木は、現在およそ200本、果実の収穫量は年に20トンに満たない。段ボールにして2千個ほどの量にしかならず、とても対応できない。
苗を植えると5~6年で人間の背丈ぐらいになり果実がなりはじめる。いま苗を大規模に植えていけば、少し時間はかかるけれど、ゆうこうを使った食品が全国に出回るチャンスが巡ってきた、と言える。
けれど、中尾さんたちは決めている。ゆうこうを、やみくもに増やさないことを。
「商売に走ってしまうことは潜伏キリシタンの気持ちに沿わない、と思うものですから」
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中島隆(なかじま・たかし) 1963年生まれ。朝日新聞編集委員。大学時代に応援部員として神宮球場で活動していたこともあってか、ただいま「中小企業の応援団長」を勝手に自称中。手話技能検定準2級取得。著書に「魂の中小企業」(朝日新聞出版)、「ろう者の祈り」(同)など。(編集委員・中島隆)
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〈潜伏キリシタン〉 キリスト教が禁じられた江戸時代に、表向きは仏教徒を装いつつ信仰を守り抜いた信者たちのこと。明治になって禁教が解かれてからも教徒に復帰せずに潜伏時にしてきた儀礼などを続けた人たちは「かくれキリシタン」と呼び、便宜的に分けている。