24日の第91回選抜高校野球大会(日本高野連、毎日新聞社主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)に登場した日章学園(宮崎)と札幌大谷(北海道)はともに春の甲子園へ初めてやって来た。中高一貫で野球部を強化してきたのも共通点。「6年計画」で築いてきたチームワークの良さが持ち味だ。
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日章学園は、2014年に付属中に軟式野球部を創部した。それまでに同校のサッカー部やボクシング部は中高一貫の指導で全国クラスの強豪となっていた。高校野球部は02年夏に甲子園に初出場したが、以降は全国大会に進めずにいた。後藤洋一理事長は「6年計画のゴールは『甲子園』だった」と打ち明ける。
3年の部員25人中、深草駿哉君や平野大和君ら14人が野球部1期生だ。この日第1試合の習志野(千葉)戦では先発9人中6人が中学からの進学組だった。
畑尾大輔監督(48)と大学野球部同期の打田幸介副部長(48)が昨年まで中学野球部の監督を務めた。11年前、畑尾監督に「一緒に日章を強くしないか」と誘われ、「友人の力になりたい」と縁のない宮崎へ妻と移り住んだ。
中高野球部は同じ敷地内にグラウンドがある。畑尾監督はほぼ毎日、中学の練習も目にする。高校進学後を見据え、選手には中学時代から自らの役割を意識させてきた。例えば深草君は「バントをしない2番」、森永光洋君(3年)は「足を絡めた攻撃」……。不振でも打順を変えずに起用した。1期生は中3夏に全国大会8強。高校進学後もチームの軸となり、昨秋は中高一貫を導入して以降初めて県大会で優勝した。着実に力をつけ今大会に挑んだ。
打田さんは「監督同士で連携し、中学から作戦を理解させられる。また隣で高校生が練習をしているので、求められる水準を肌で感じられる」と語る。
緊張などからいきなり7失点して敗れたものの、終盤には落ち着きを取り戻した。七回に2点を返し、八回には付属中出身の2番手寺原亜錬君(3年)がマウンドへ。信頼を置く仲間を見て声をかけた。「頼むぞ」。二盗を阻んで応えた捕手の深草君は「春にこの舞台を経験できたのが収穫。次は緊張に負けないようにしたい」。夏に「6年計画」の集大成を見せるつもりだ。
創部10年目で初の甲子園出場をかなえた札幌大谷は、第3試合で米子東(鳥取)戦で初勝利を挙げた。
系列の札幌大谷中は08年に女子校から共学化した際に、道内で唯一の硬式野球部を創設。翌年、共学化した高校にも野球部ができた。中学~大学の系列校のグラウンドと室内練習場が同じ敷地内に並ぶ。今の3年生は、当時中高の校長が一緒で、中3秋から高校の練習に参加できた。
初代監督には大昭和製紙北海道出身の太田英次さんが就任し、現在は中高大の総監督を務め、高校は元NTT北海道の船尾隆広監督(47)だ。97年に日本代表として世界大会優勝に貢献した。今の3年生が中1のときには中学のコーチを務め、成長する姿を5年間見守ってきた。
監督同士も常に情報交換する。昨秋の道大会後に不調だったエース西原君は、大学の監督の神田幸輝さんから右ひざを後ろに残すようアドバイスを受け、明治神宮大会で復調。優勝を果たして悲願の甲子園出場に結びついた。
現在の3年生23人のうち、完投した太田流星君、一塁守備で何度も好捕を見せた西原健太君、先頭打者本塁打を放った北本壮一朗君ら19人が中学からの内部進学組だ。太田君は「5年間一緒にいる選手が多く、仲間を信じて内野ゴロを打たせることができた」と話した。
中3のとき大阪であった全国大会では準々決勝で敗れたものの、その後甲子園球場で選抜大会の準決勝を観戦。智弁学園―龍谷大平安で球場に響く大声援の中の球児が輝いて見えた。「一緒に甲子園に行こう」。試合後、現在主将の飯田柊哉(しゅうや)君(同)がつぶやくと、皆うなずいたという。
中学からみんなで夢見た舞台。五回には内部進学組で併殺を決めた。飯田君は「息のあった連係プレー。5年間の経験で、動きや間合いもお互いわかっている」ときずなの強さを自負した。(高橋健人、遠藤美波)