とうとうその日はやってきた。炭都・夕張の盛衰を見守り続けてきたJR石勝線夕張支線が31日、127年の歴史に幕を下ろした。エンジン音を響かせて夕張駅を離れていく最終列車。視界から消え去った後も、市民らは黄色いハンカチを振り続けた。もう列車はホームに戻ってこない。
【鉄道特集】テツの広場
この日朝の夕張市の気温は零下3度。午前6時58分、石勝線本線と接続する新夕張駅発の始発列車が夕張駅に到着し、大勢の乗客が下り立った。駅周辺には、すでにカメラを構えた鉄道ファンの姿があった。
前日から夕張入りした東京都あきる野市の介護福祉士、熊野将博さん(40)は、運転士の制帽をかぶり、列車が到着・出発するたび「惜別 夕張支線」などと書いた帆布製の手作りの横断幕を掲げた。
全国の地方鉄道に乗ってきた熊野さん。「寂しいが、人が乗らないのであれば廃線はしかたがない」と話した。
午前11時過ぎ、夕張駅前には乗客が長い列をつくっていた。午後0時20分発の列車内は、ほぼ満席。「夕張支線は新しい時代へとバトンを渡します」という車内放送が流れるなか、乗客は車窓風景を眺めていた。
大阪府東大阪市から来た会社員浜屋心(しん)さん(26)は「駅舎や設備に炭鉱で栄えたころの面影が残っているのが夕張支線の魅力でした」と話した。
途中駅の南清水沢駅では、近くの住民らが「ありがとう南清水沢駅」と書いたうちわを振り、乗客に感謝の言葉をかけていた。
和やかな雰囲気に包まれた夕張。だが、これから待ち受ける厳しい現実を見据える市民もいた。夕張市清水沢の住職・小野道真(みちまさ)さん(58)は「炭鉱がなくなったから廃線になったわけではない」とみる。全国的に進む都市部への一極集中と地方の過疎化が、地方鉄道網の縮小を加速しているとし、「夕張は現代日本の象徴。廃線はほかの地域でも起こりうる」と語った。
夕張駅前では午後2時過ぎ、JR北海道主催の「お別れセレモニー」が行われた。あいさつに立ったJR北の島田修社長は、127年間にわたり鉄路を支えてくれた地元住民や乗客に感謝の意を伝えた。住民代表の夕張高校2年・大原音乃(のんの)さん(17)は「寂しいけど、これからは私たちが夕張を盛り上げて多くの人に来てもらえるように頑張っていきたい」と話した。
夕張駅ホームには、黄色いハンカチを振る松宮文恵さん(71)の姿があった。夕張は故・高倉健さん主演の映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の舞台。昨年7月からホームで黄色いハンカチを振り始め、増便した3月16日からは毎日立ってきた。
「たくさんの人が夕張を訪ねてくれたのがうれしくて。皆さんにありがとうの気持ちを伝えたかった」
辺りが闇に包まれ、ふたたび冷え込みが厳しくなった午後7時34分。けたたましい汽笛音を響かせながら、6分遅れで最後の列車が夕張駅を出発した。
「行ってらっしゃーい!」。市…