科学力 本庶佑・京都大特別教授のノーベル医学生理学賞受賞を記念した講演会(朝日新聞社、日本対がん協会主催)が3月9日、東京・有楽町朝日ホールで開かれました。ノーベル賞受賞につながった免疫のブレーキ役の発見から画期的ながん治療薬「オプジーボ」の開発に至るまでの過程や、基礎研究の重要性などについて語りました。 免疫を抑えるブレーキ「PD-1」 がんを免疫で治そうという考えは、ノーベル賞をもらったオーストラリアのフランク・バーネットさんが1970年に提唱しました。しかし、その後、多くの人が何十年と試みてもうまくいきませんでした。1990年代にはもう、がんを免疫で治すのは難しいと考えられていました。 その理由は、免疫の仕組みが「アクセル」と「ブレーキ」で制御されているということの理解が十分でなかったからです。1990年代半ばから、まず、「CTLA―4」という車のパーキングブレーキに相当する分子が見つかりました。一方で、私たちが1992年に見つけた「PD―1」という分子は、いわば走行中のブレーキで、速度をゆっくりと制御できます。 このブレーキを外したら、自動車がもっと早く走るだろうという発想で、これらを使ったがん免疫療法が始まりました。 私たちはPD―1を見つけ、PD―1が体の中にないネズミが自己免疫病を起こすという研究などから、「PD―1は免疫を抑えるブレーキだ」と明らかにしました。これをがんに応用し、ネズミでがんの増殖速度を比べました。すると、PD―1がないネズミと正常のネズミで大きな差が出ました。 抗体を使ってPD―1の働きを抑えると、腫瘍(しゅよう)の大きくなるスピードが遅くなり、ネズミは長く生きました。がんの転移も防げることが分かりました。 がん、いずれ人と共存する病気に ただ、製薬企業にはたらきかけても、当時は「そんなばかなことはないでしょう」と相手にしてくれませんでした。幸いにして、メダレックスという米国のベンチャー企業が実用化することになり、2006年に米国で、2008年に日本で治験が始まって、結果が2012年に報告されました。 治験に参加してくれた患者さんはいわゆる末期がんの方ばかりです。2年間投与したところ、末期の肺がん、皮膚がん、腎がんの20~30%の人で有効だったということで、世界中が大変驚きました。 その後、次々とこのような治験の報告が出て、現在、2014年のメラノーマから始まり、10を超える多くのがんに保険適用が認められ、世界中で多くの患者さんに投与されています。 がん細胞は最初は自分の細胞だけども、どんどん変異が蓄積して自分とは違うものになってしまう。免疫は自分の細胞ではないと思って攻撃することができるのです。がん細胞は絶え間なく変異しているので、抗がん剤の一つを加えても、やがて抵抗性のがんが増えてきます。がんの再発です。免疫はこのすべてを「敵」と認識してやつけてくれる。これが免疫療法が長く広くがんに効く理由です。 多くの問題も残されています。まだ、効く人と効かない人がいます。二つの理由が考えられます。一つは腫瘍(しゅよう)の違いです。変異がたくさんたまっている腫瘍の方が効きやすいことが分かっています。 もっと難しいのは、人の免疫の力です。インフルエンザに感染しても、くしゃみで治る人と40度の熱で死にかける人もいる。これは個人の免疫の力の差です。 免疫には何百という遺伝子がかかわっているので、遺伝子の解析だけで免疫力を評価するのは難しいのです。 この免疫療法をより良くするため、世界中で治験が行われていて、そのほとんどはPD―1阻害剤と別の方法の組み合わせです。3、4年すれば結果が明らかになると思います。この治療法の割合が増え、やがて多くのがんが、必ずしも完全になくならなくても、慢性的な病気として、人と共存するような病気の一つになる可能性があると期待しています。 すぐれた技術や発見、どう活用? 20世紀に人類は幸いにも、抗生物質と免疫の力でほぼ感染症を克服しました。21世紀はPD―1阻害剤でがんの治療法の新しい展望が開けたのではないかと思います。 そして、現在の予測では、この治療法の分野は2024年に4・5兆円の市場規模になります。しかし、実はほとんどの売り上げは米国の製薬大手のものです。新薬の開発は成功率が非常に低い。ギャンブルに勝つためには、出来るだけたくさんの可能性に賭けないといけない。そのためには資本力が必要です。 私が理解するイノベーションというのは「創造」ではなく、「すぐれた技術や発見をどう活用するか」ということです。iPhoneはすでにあったものを組み合わせて、新しい製品をつり上げた。イノベーションをやっているだけではだめで、創造をしなければ日本の将来はないと思います。 PD―1の発見から承認まで22年かかっています。基礎研究から実用化研究、そして薬品開発までは非常に長い年月が必要です。息の長い基礎研究があって、その中から非常に少ない確率で、有効な新薬の発展が望まれるわけで、基礎研究を大事にするということがなく、出口ばかりの研究をしていたのでは、残念ながら日本の将来は非常に暗いです。 現在、産学連携の国の資金が投入されていますが、私は公的資金は主に基礎研究に投入すべきだと考えています。また、最も憂慮するのは、若手研究者が少ないこと、博士課程に進まないことです。若手教員が減る状況が続いています。 なぜなのか。日本では基礎科学への支援額がほとんど変わらないままなのに、逆に米国などはすごい勢いで増えています。若い人が研究者になりたいと思うような環境をつくってほしいです。(合田禄) 本庶佑・京都大学特別教授のノーベル医学生理学賞受賞を記念した講演会(朝日新聞社、日本対がん協会主催)が3月9日、東京の有楽町朝日ホールで開かれました。本庶さんと内閣府総合科学技術・イノベーション会議常勤議員の上山隆大さん、東京医科歯科大学教授の武部貴則さん、京都大学教授の山口栄一さんの3人が「独創性を生み出すには」とのテーマで議論しました。低下する日本の科学技術力への懸念などが語られました。(コーディネーターは嘉幡久敬・朝日新聞記者) ――まずは3人のパネリストの方たちから自己紹介を。 山口 イノベーションがどう生まれるか、基礎研究がどうイノベーションにつながるか、という研究をしています。1990年代の終わりごろにフランスから帰国し、(それまで専攻していた)物理学をいったんやめ、ベンチャー企業を4社つくりました。その過程でイノベーションが基礎研究からどう生まれるかを体感し、イノベーション理論の研究を始めました。 上山 日本では経済学を、米国では科学技術の政策を歴史的に考える研究をやっていました。シリコンバレーでの科学研究のあり方、米政府の科学技術政策の戦略を社会科学的に見てきたわけですが、圧倒的に日本の研究者の環境は悪いです。 日本の科学技術政策の司令塔と言われる「総合科学技術イノベーション会議」に3年前に入り、基礎研究へのお金のつけ方と政策の動かし方を変えていかないといけないという気持ちでやっています。 武部 1年の半分ぐらいは米オハイオ州のシンシナティ小児病院というところで、日本では東京医科歯科大で研究しています。もともと医学部で臓器移植にかかわる外科医を目指していましたが、ひょんなきっかけから、臓器移植に代わる治療法をつくる研究を一つ柱として進めています。 もう一つの仕事として、広告やデザインの手法を使って、日常生活の中に、病気の予防につながる工夫を生み出す研究もしています。 不十分な若手の研究環境 ――基礎研究をする若手研究者の減少は深刻ですか。 本庶 私が研究を始めたころは非常に貧しかった。ただ(国から国立大に人件費や研究費として支出される)運営費交付金はあったので、ゼロということはなかった。今はほぼゼロですから、何か研究費をもらえない限り何もできない。若い人は特に何かをもらえる機会が少ないか、もらえても非常にわずかです。若い人が自分の思い通りのことを実行できる機会が極めて少ない。これ大きな問題だと思います。 ――武部さんは31歳で教授になられています。 武部 両親も親族もみんな、文系出身です。医者は病気を治す役割だと思って医学部に入ったら、治療法がない病気がたくさんある。それで学生時代から基礎の研究室に所属させてもらいました。それでも外科医になるつもりでいたら、卒業直前にある先生から「助手としてもう少し研究に挑戦してみないか」と提案をいただき、キャリアを変えました。3年ぐらいで成果が出なかったらやめようと考えていましたが、研究が発展して、継続しています。 ――若手研究者の環境で、日米で違いはありますか。 武部 いっぱいあります。米国に3年前から研究室を持っていますが、研究費はどんな基礎研究でも応募するのが1人当たり2500万~3千万円です。NIH(米国立保健研究所)の「R01」という研究費ですが、それを持っていれば独立して、自分の好きなテーマが5年間研究できる。日本ではほぼ不可能で、私もいま東京医科歯科大でそんな予算を持てていません。 ――ノーベル賞の受賞者を見ても、若い頃の業績に端を発することが多いです。国はどう考えますか。 上山 若手研究者にどう資金を回すのか。博士課程への進学をどう促すのか。毎週のように議論しています。 本庶さんのこれまでの研究資金の獲得状況をみると、若い時代でも科学研究費補助金や米国の財団からの資金を受けておられます。しかし、本庶さんのような研究者でも、研究生活に入ってからある一定期間、それほど研究費がない時期があります。その時をどう支援するかが重要だと思います。 基礎研究を何の資金で支えるかという点では民間資金が重要です。例えば京都大は、運営費交付金が600億ほど入っています。そのほか病院収入や競争的資金などを入れて1700億円ぐらいです。一方、米スタンフォード大の年間予算は1兆円に迫ろうとしています。その資金源として、民間からのお金は欠かせません。米ハーバード大の基金がすでに4兆円を超え、スタンフォード大は3兆円に迫ろうとしています。その基金をグローバル投資に回し、毎年数百億円を大学が基礎研究に回しています。(ノーベル賞の賞金などを原資とし、若手研究者を支援するために)本庶さんが設立したような寄付による大学の基金化はグローバルなトレンドです。 ――企業での基礎研究の現状はどうですか。 山口 いま日本は、科学とイノベーションの「同時危機」を迎えている、世界でたった一つの国です。論文数でみると、米国は線形に、中国は非線形に伸びていて、実は昨年、中国が米国を抜き、中国は世界一の科学大国になりました。21世紀に科学でイニシアチブを取るのは中国でしょう。 問題は日本です。日本は21世紀に入ってから論文数を停滞させているたった一つの国です。なぜなのか。日本のお家芸である物理学、分子生物学も2004年から急激に減っています。ここで何かが起きた。 物理分野の論文数でみると、博士課程の学生数の変化が、論文数のグラフを7年ぐらい左にずらすとぴったり一致します。博士の学生数が減って、プロフェッショナルな科学者になる研究者が減ったことが分かります。 なぜ博士の学生数が減り始めたのか。この減り方とぴったり一致するのが大企業から出てくる論文の数です。1996年から極端に減り始めています。この時期、大企業が基礎研究から撤退したのです。いわゆる「中央研究所の時代の終わり」という現象です。エレクトロニクス企業から飛び火し、製薬企業も1998年から基礎研究を減らしてしまいました。 ライフサイエンスに投資する米国 ――イノベーションを日本で起こしていくうえでの課題は。 上山 グローバルに見ると、基礎研究と結びつかないイノベーションは、実はあまり経済的な波及効果は大きくないんです。特にライフサイエンスの分野ではそれが顕著です。米国は70年代以降、物理学、エンジニアから研究費を徐々に減らし、ライフサイエンスへの投資を増加させてきました。 その理由は、この分野の基礎研究が将来的に、莫大(ばくだい)な経済的富を生むことが明らかだからです。ライフサイエンス系にお金を入れているNIHの予算もすさまじい勢いで伸びています。 基礎研究から出てくるシーズ(種)がない限り、ベンチャーも生まれないし、イノベーションを生まれないということは明らかです。残念ながら日本はそれが遅れています。 例えば、グーグルの研究開発投資は1兆円をはるかに超えています。米・配車アプリ大手の「ウーバー」でもAIの基礎研究に170億円も投資しています。なぜかというと、将来的にそれだけの価値を生み出すと思っているからです。それに比べると、日本の大企業はリスクを嫌う傾向があります。いま日本の大企業にたまっている内部留保は、約300兆~400兆円に達している。このお金がほとんど動かない。それが日本の問題で、米国の場合はベンチャーがすごい勢いで基礎研究にお金を出しています。 残念ながら日本でベンチャーがあまり育ってこなかったのですが、最近は変化が生まれています。2018~19年が日本のベンチャーのターニングポイントになった年だと言われる可能性があるほど増加しています。 東大の医学部に行っても医者にならないでベンチャーをやるという人も出てきています。ベンチャーをやって研究する方が楽しいからでしょう。少しずつ出てきているこのような若い人たちを政府としてどう支えていくかが重要だと思っています。 山口 「日本人はリスクに挑戦する勇気がないが、米国人はその勇気がある。よって米国でベンチャーが栄えた」ということを言う人が多いのですが、違います。1980年代に米国にいたのでよく分かるのですが、当時の学生は「(基礎研究で有名な)米AT&Tのベル研究所に入りたい」「大学に残りたい」のどちらかでした。 米国は1970~80年代に日本に経済的に後れをとり、もう大企業でイノベーションは起きないので、研究者たちをイノベーターに転換しようという思い切った政策転換を遂行しました。「スモールビジネスイノベーションリサーチ(SBIR)」というプログラムです。 連邦政府が基礎研究をする人たちに重点的にお金を出します。30代の若き無名の科学者が(第一段階の)フェーズ1で1千万円をもらう。(順調に研究が進み)フェーズ2になると1億円をもらいます。 毎年2千億円。法律で義務づけていて1982年から今に至るまでずっと続けています。米国は強力な科学ベンチャー企業育成をしてきたんです。しかも特にライフサイエンスのベンチャーを育ててきた。 日本も政策の誤りをきちんと反省して、基礎研究をする科学ベンチャー企業を産業政策としてとらえ直すという政策転換をすることで、リスクテイクへの意識が変わると思います。 先生の言うこと信じるな ――研究の財源をどうやって確保するか。本庶さんが「本庶佑有志基金」をつくられました。どういう状況ですか。 本庶 比較的早い時期に1億円を寄付するという人が出まして、100万円台の方もどんどん出てきていますので、私は大変希望を持っています。 武部 米国の子ども病院での、非常にすぐれた寄付金の集め方に驚かされています。例えば、寄付金を募る部隊が、患者さんのご両親にアクセスをして、こういった病気にこういう研究がされていますということを紹介します。さらに興味を持った人には研究者と一緒にディナーをします。 研究者が「私たちはこんなビジョンを持ってあなたのお子さんのような方をこういうふうに助けたいと思っている」と伝えます。私もしています。私がいる組織でも昨年20億円ぐらいの寄付が集まりました。これから私たちにできることは、社会とのコミュニケーションをもっと積極的に伝えていくことかもしれません。 ――寄付を進めていくうえで、国はどう考えていますか。 上山 去年、その寄付の税制を変えました。実質的には英国と変わらない程度に寄付のメリットができたと思います。特に株式や土地を寄付する時には、寄付者にメリットがあるような是正です。 日本に寄付文化がない、ということはないと思います。東日本大震災のときにはすごく寄付が増えました。その後は落ちましたが、それでも昔の水準よりもずっと高いレベルで留まっています。 ――最後に高校生に向けて本庶さんから助言を。 本庶 学生の人は自分の頭で物を考えるということが重要だと思います。あまり先生の言うことを信じないこと。教科書を信じてはいけないけど、先生が言っていることばっかり聞いてたらその先生よりは絶対えらくなりません。「先生、ちょっとおかしいんじゃないの?」という質問を自分ですることが、重要だと思います。 全員が研究者になる必要はないと思いますが、きちんと議論する。つまりけんかを口でするということです。本当に真剣にけんかをする。自分が言っていることが正しいのか、相手のことをきちんと認めるか、そういう文化が育つことがあらゆる日本のセクターで非常に重要になると思います。(構成・合田禄) |
本庶さん講演 若者が「研究者になりたい」と思うように
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