2005年に107人が亡くなったJR宝塚線(福知山線)脱線事故から14年。事故の発生とほぼ同じ時刻、現場にさしかかった快速電車は速度を落とし、追悼の警笛を鳴らした。先頭車両に乗っていた原口佳代さん(59)=兵庫県宝塚市=はハンカチで目頭を押さえた。
「夫はここで45年の人生を断たれた。その無念さが伝わってきた」
夫の浩志さんはあの朝、仕事前に大阪駅前の家電量販店に寄るため、開店に合わせていつもより遅めに家を出て、川西池田駅から1両目に乗り込んだ。「もっとゆっくりしていけば」。そう言っていたら事故に遭わずにすんだのに、と自分を責めた。
「地獄」。そう言い表すほど深い孤独感。事故の4年後には、残された自分を心配して同居してくれた母もがんで逝き、2人の後を追うことさえ頭をよぎった。それでも悲しみの渦から抜けだそうと必死にもがき続けた。
母が亡くなった2カ月後にあっ…