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オリックス、選手全員「72番」 仰木監督に捧げた勝利

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2019-4-30 9:05:18  点击:  切换到繁體中文

 

(29日 オリックス5―3西武)


オリックスにとって特別な日だった。


4月29日は、23年前、球団に初の日本一をもたらした故・仰木彬監督の誕生日。選手も、首脳陣も「ブルーウェーブ」のユニホーム、それも、同監督が背負った72番で試合に臨んだ。


当時のオリックスは、スマートで洗練されていた。イチローや、田口(現野手総合兼打撃コーチ)、平井(現投手コーチ)らを擁し、起用された若手が期待に応える「仰木マジック」もさえた。


それを思い起こさせるかのように、躍動感に満ちていた。四回にドラフト7位の新人・中川(東洋大)の2点二塁打で追い上げムードをつくると、八回には、25歳の主砲・吉田正が右翼席中段まで運ぶ勝ち越し2ランを放った。


仰木さんといえば、近鉄の「昭和最後」の試合を指揮したことでも知られる。逆転でのリーグ優勝がかかった1988年(昭和63年)のペナントレース最終戦、ロッテとのダブルヘッダーで涙をのんだのは、今もファンの語りぐさだ。


阪急ブレーブスを買収し、1989年(平成元年)に加わったオリックスは、なにかと球界で話題になった。震災に見舞われた神戸の象徴として、仰木監督のもとで95年にリーグ優勝、翌年に日本一になる一方、2004年オフの球界再編でも「主役」に。仰木さんも率いた近鉄を吸収統合し、「オリックス・バファローズ」と姿を変えた。


平成は、パ・リーグが地域密着を掲げて、かつてない人気を得た時代だった。ただ、関西の2球団が統合したオリックスのAクラスは、たった2度。優勝もあれから22年も遠ざかる。


パ・リーグ球団にとって平成最後となる試合を制し、オリックスは連敗を3で止めた。令和は借金5の最下位で迎えるが、「仰木さんの背番号で負けられない。この勝ちが令和への弾みになる」と西村監督。天国の名将にかたく誓った。(大坂尚子)



 

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