神奈川県鎌倉市の海水浴場に昨年8月、シロナガスクジラの赤ちゃんの死骸が打ち上げられた。日本で漂着が確認されたのは初めてという貴重な絶滅危惧種の分析から、生前の暮らしぶりや生息海域の汚染状況がわかってきた。
昨夏の暑い日。海水浴客でにぎわう鎌倉市の由比ガ浜は騒然としていた。砂浜に横たわる黒い巨体は腐敗が進む。地元自治体が処分を検討し始めていた。
「死亡原因を突き止める必要がある」。国立科学博物館の田島木綿子(ゆうこ)研究主幹はこう訴え、場所を移して解剖することが決まった。
シロナガスクジラの漂着が日本できちんと確認されたのは初めて。成長すると体長21~26メートルになる地球最大級の生物を直接研究できる機会は貴重だ。今回漂着したのは、体長10メートル余のオスで、生後数カ月とみられた。沖合で死亡し、流れ着いたとみられる。病気やケガはしておらず、死因はわからなかった。
ヒゲ板を分析 岩手以北で育つ?
日本学術振興会の特別研究員の松田純佳さんは、シロナガスクジラがどこから来たのかを知ろうと、エサをとる「ヒゲ板」に含まれる放射性同位体の炭素14の割合を調べた。すると、千島列島に沿って北太平洋を南下する親潮(千島海流)と、ヒゲ板の炭素14の割合が近いことが分かった。親潮は深海から湧き上がる海水を含む。松田さんは「生まれてから岩手県以北の海域で生息していた可能性がある」と話す。
宮崎大の西田伸准教授は、細胞に含まれる遺伝情報を解析した。世界では、南北アメリカの西海岸沿岸やインド洋、南極海にいたシロナガスクジラの遺伝情報が調べられてきた。今回のものと比べると、北米の西海岸周辺に生息するグループに近かったという。西田さんは「データを積み重ねていけば、日本周辺のシロナガスクジラの遺伝的な特徴をより詳しく明らかにできるだろう」という。
体内から殺虫成分やPCB
生後数カ月にもかかわらず、体内から汚染物質も見つかった。愛媛大の落合真理特任助教が調べたところ、脂皮や肝臓から、殺虫剤として使われていたDDTや、絶縁油などに使われてきたポリ塩化ビフェニール(PCB)が検出された。毒性があり、現在はほとんどの国で生産や使用が禁止された化学物質だ。濃度は米カリフォルニア沖で見つかったシロナガスクジラとほぼ同程度だったという。落合さんは「生態系のなかで母乳を介して次世代へ受け継がれており、汚染の長期化が心配される」と話している。
日本で年300件ほど報告
クジラやイルカが漂着する現象は世界各地で起きている。日本でもシロナガスクジラ以外のクジラやイルカでは、年間300件ほど報告がある。
漂着の原因は様々だ。病気もあれば、エサを追いかけて迷い込むことも。国立科学博物館の田島さんによると、死因が断定できるのは2割程度という。
DDTやPCBなどの汚染物質がどう影響しているかは詳しく分かっていない。日本近海にすむ小型イルカの仲間スナメリは、体内の汚染物質の濃度が高いほど、肺に寄生虫が多くいることがわかってきたという。
田島さんは「漂着という現象が、クジラたちからの何らかの警笛だと考えるのであれば、どうやって生きて、死んでいったのかを知ることは人間の義務ではないか」と話している。
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シロナガスクジラの研究成果は、東京・上野の国立科学博物館で6月16日まで開催されている「大哺乳類展2」(主催・国立科学博物館、朝日新聞社、TBS、BS―TBS)で展示されている。鹿児島大や新江ノ島水族館によるシロナガスクジラに寄生していた甲殻類の分析や、神奈川県立生命の星・地球博物館の樽創主任学芸員によるヒレ状の前肢の構造を調べる研究も紹介されている。(杉本崇)