日本が近代国家のスタートを切った明治維新。新生国家はここから富国強兵への道を突き進んでいく。この日本史上の大変革は、世界とどう連動していたのか。昨秋、鹿児島県霧島市と鹿児島市で開かれた二つのシンポジウムから、世界史上での維新の立ち位置を考えたい。
「西郷隆盛は人間を、どう見ていたのか。庶民の歴史に維新は、どう位置づけられるのだろうか。世界のうねりの中で日本を考えてほしい」
昨年11月、鹿児島市内であったシンポジウムで、基調講演に招かれた入江昭・米ハーバード大名誉教授は、会場の高校生たちに、こう呼びかけた。米歴史学会長を務めた、84歳になる米国在住の重鎮。世界的な広い視野と庶民という下からの視線で明治維新をとらえることの大切さを訴え、これからの時代を担う世代にエールをおくった。
明治維新は、世界史のなかにどう位置づけられるのか。当時の世界は、激変する極東の島国をどう見ていたのだろうか。
東洋へ進出する欧米列強を前に、日本は植民地化への危機感を急速に募らせる。この外圧が維新実現の大きな要因になった一方で、列強の思惑はもっと複雑で様々だったようだ。10月にあった霧島市でのシンポで、東京大史料編纂(へんさん)所の保谷徹教授は「列強は必ずしも領土化をめざしたわけではなく、国際秩序を促してそれを拒絶したときに軍事活動が起こる時代だったのではなかったか」とも語った。
三谷博・東京大名誉教授によれば、米国による太平洋横断航路の開拓も維新と無関係ではない。当時、国内交通網の拡充を進めていた米国にとって、アメリカ大陸横断鉄道敷設のために多くの中国人労働者を海路で運ぶうえでも、船の石炭補給基地となる港が日本にほしかったのだ、という。ここに「鉄道や汽船の世界的なループができた」(三谷さん)わけで、世界をグローバルに結ぶ長距離交通路整備の流れもまた、維新とリンクしていたといえる。
一方、アヘン戦争で中国に勝利…