佐賀県が誇る弥生の大環濠(かんごう)集落、吉野ケ里遺跡。その本格デビューは1989年。折からの邪馬台国ブームに乗った「吉野ケ里フィーバー」で、日本考古学界の平成時代は幕を開けた。以来、「魏志倭人伝」が記した弥生のクニグニの風景をほうふつさせるこの遺跡は、新時代の文化財保護の金字塔として30年の時を歩んできた。しかし時代の変わり目のいま、それもまた曲がり角を迎えている。
「遺跡や文化財を地域資源や活性化にどう位置づけるか、それが問われたのが平成時代だったのではないか。その答えとして、吉野ケ里は先駆的な役割を果たしたと思う」
人呼んで「ミスター吉野ケ里」、佐賀県教育委員会の文化財保護行政を束ねる立場で一連の騒動の中心にいた高島忠平さん(79)は、そう振り返る。
遺跡は広大な工業団地予定地に位置し、本来、破壊される運命にあった。ところが昭和天皇の大喪の礼の前日、2月23日の朝を境に潮目が変わる。
朝日新聞1面(西部本社版)に…