フィギュアスケート男子に、五輪2大会連続金メダルの羽生結弦(ANA)や2018年平昌五輪銀メダルの宇野昌磨(トヨタ自動車)を脅かしかねない選手がいる。3月の世界選手権で銅メダルを獲得したビンセント・ゾウ(米)だ。浜田美栄コーチの指導も受け、日本と縁がある。3年後の北京五輪で期待される新星だ。
さいたま市で3月にあった世界選手権で、ゾウは、2連覇を遂げたネーサン・チェン(米)、2位の羽生に続き3位に入った。昨年の同選手権の14位から一気に順位を上げた。「願ってもみなかった最高の結果。2人とともにメダリストになったことが、とにかくうれしい」。4月の世界国別対抗戦では両手を上げた4回転ルッツを成功させてフリーで2位に入り、米国の優勝に貢献した。
ジュニア王者から平昌6位に
両親は中国からの移民。ゾウは5歳のときに始めたスケートのほか、子どものころはサッカーやバスケ、テニス、水泳と、米国らしく様々なスポーツを経験した。「一番上手だったのがスケートだった」と、のめり込んだ。
ジュニア時代から順調に力をつけ、16~17年シーズンは世界ジュニア王者に輝いた。翌シーズンからシニアに上がり、平昌五輪では6位。初めて出場した大舞台が、ターニングポイントになったという。「シニアに参戦した年に、強豪・米国の五輪代表になることはほとんど不可能と思っていた。五輪に出たい、という強い決意を持ち、スケートへの情熱をかけて力を伸ばした」と振り返る。
五輪で記憶に残るのは、9歳のときに隣国カナダであった10年バンクーバー五輪。エバン・ライサチェク(米)が、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)をショートプログラム2位から逆転し、金メダルをつかんだ大会だ。
「ライサチェクがミスのない完璧なフリーを滑って優勝するのを見た。僕がしたいのは、そんなスケート。それを平昌五輪でできたと思う。とても感動的で特別な経験だった」。ゾウのめざす滑りが明確となった。
米コロラドスプリングスを拠点に活動する。ふだん教わるコーチに加え、米国で教え子と合宿経験がある浜田コーチにも指導を仰ぐようになった。昨夏は日本を訪れ、浜田コーチの拠点である関大のリンクで練習した。「ハマダセンセイ」と片言の日本語で慕い、世界国別対抗戦の際も助言をもらった。
■浜田コーチが才能引…