今春、栃木県・文星芸大付のユニホームが一新された。右袖に「Ugaku」の文字。色合いは校名変更する前の宇都宮学園と同じアイボリーに戻った。
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春夏12回の甲子園出場を誇る名門も2007年夏を最後に全国の舞台から遠ざかっている。夏は作新学院の8連覇を許し、昨夏はベスト8止まり。昨秋、高根沢力さん(45)に「名門復活」が託された。
「宇学の高根沢」は県内の高校野球ファンでは有名だ。1991年、主将・四番として春夏、甲子園に出場。日大では日米大学野球のメンバーにも選ばれ、4年の時にはプロ志望届を出した。三菱ふそう川崎(当時)では全国選手権で3回優勝を果たし、ワールドカップ日本代表でも大活躍した。日の当たる「エリート街道」を歩いてきた。
指導者になるため、2006年に栃木に戻ったが、その後は順風とはいかなかった。最初に指導したのは少年野球と野球教室の子どもたち。期待に反し、初日の教室は5人しか集まらなかった。
高校時代、勝って当たり前だった。「どこが相手だろうと踏み倒して甲子園にいくだけ。みんなそう思っていた」
それまで「常識」だった野球用語もプレーの動きや感覚も、子どもたちに伝わらない。言葉が通じない世界に放り出されたようだった。どう表現したら伝わるのか、考える日々が始まった。自分が知っている野球の風景とは全く違っていた。
当時は出口の見えない暗闇の中を歩いているようだったが、今は「指導者として貴重な経験だった」と口にできるようになった。
16年、コーチとして母校のグラウンドに戻った。校名、ユニホームが変わっただけではなく、自分の知っている自信満々の野球部とは大きく変わっていた。
星野英雄監督の後を継いで、昨年9月から指揮を執る。秋季県大会は準決勝で作新学院に敗れ、春季県大会も準決勝まで順調に進んだが、優勝した佐野日大に終始圧倒され、7回コールドで完敗した。「強豪を警戒するあまり一歩下がってしまった。萎縮して思うようなプレーができていない。精神的に負けていた」
高野利基主将(3年)も「がむしゃらに挑むことができなかった。精神的に弱かった」ともらした。
現代っ子の特性かもしれないが、高根沢さんの目に映る選手たちは「おとなしくて弱々しい」。気持ちを盛り上げ、試合出場に貪欲(どんよく)に挑戦するように、日ごろから選手たちには「背番号に関係なく、調子のよい選手を使う」と言い続けている。「実力も出し切れないのはもったいない」
試合の応援に来るOBや保護者、ファンは全盛期と比べても負けていない。新体制になって「今年こそ甲子園に」の激励も増えた。野球部OB会の山本久一会長(60)も「ずっと元気がなかった。監督と選手が一体となって甲子園にいってほしい」と話す。
周囲の期待はいつも感じている。覚悟を決めて引き受けた監督だ。「甲子園に行かせるのが私の使命」
「Ugaku」のユニホームは生徒へのプレッシャーではない。「先輩たちも同じ高校生だった。気負わずに先輩と一緒に戦う。そのためのユニホームです」。「Ugaku」の歴史を力に変え、夏の初陣に挑む。(平賀拓史)