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東京国際映画祭:「カミュなんて知らない」 柳町光男監督10年ぶりの新作

作者:未知  来源:每日新闻   更新:2005-10-26 6:48:00  点击:  切换到繁體中文

 

(c)「カミュなんて知らない」製作委員会
 
◇挑発する大学生、殺人事件、柳町監督

 東京国際映画祭に昨年から設けられた日本映画・ある視点部門。多用性のある最新の日本映画を海外に発信するとともに、インディペンデントを含めた日本映画を応援する目的で、今年も11本の個性的な作品がそろった。

 若手、中堅、初監督の作品が多い同部門の中で、「カミュなんて知らない」は実績としては抜き出た柳町光男監督の10年ぶりの新作である。本田博太郎、田口トモロヲを除く主要キャストに若手注目株の俳優が集まった。22日の初上映の日、会場はお目当ての俳優を見ようという若者、柳町監督の久々の新作に期待するファンでいっぱいになった。

 映画は、2001年5月に愛知県豊川市で実際に起きた男子高校生による老婆殺人事件の映画化に取り組む大学生を描いた。「人殺しを経験してみたかった」という衝撃的な発言で記憶に残っている方も多い事件だが、映画は犯人への共感と反発、動機などを探りながら、映画製作に取り組む大学生と彼らの私生活を絡め、今の若者の姿が浮かび上がってくる作品になっている。

(左から)本田博太郎、前田愛、柏原収史、吉川ひなの、中泉英雄、柳町光男監督

 上映後の場内は、明らかに衝撃的なラストシーンの余韻が残り、重苦しい雰囲気が漂っていたが、柳町監督、主演の柏原収史、前田愛、中泉英雄、吉川ひなの、本田博太郎の6人がスクリーン前に登場すると、大きな拍手とともにティーチインが始まった。

 ◇「ションベンライダー」を超えようと思っていた ティーチイン

 ティーチインで最初に、司会者から映画冒頭の長回しについて聞かれた柳町監督は「6分40秒の長回しで、相米慎二監督の「ションベンライダー」が6分半なので、それを超えようと思っていた。記録を作りたかった。この作品は集団劇で登場人物が多く、学校のキャンパスという広い場所を紹介するには長回しはいい方法でした。ロバート・アルトマン監督の「プレイヤー」はさらに長く9分。そのシーンだけに1週間かけたというが、僕らはそんな余裕はなく、それでも予備日含め2日間で撮った」と長回しの理由から話が始まった。

前田愛

 柳町監督は、01年から大学で客員教授として映画作りを教えた経験とこの作品との関係を聞かれ「4月から授業は始まったが、夏休みまでは学生から何か話しかけてくることはなかった。シャイなのか、何も考えていないのかと思っていたが、映画製作のクランクイン数週間前、1週間、3日前と近づくと、自分のパート(担当)について聞いてきた。映画の中の学生と同じように、責任を持たせるとやろうとする。場所と時間を設定して、環境におけば、われわれの学生のころとほとんど変わらないと思った。若者への考え方が変わった」と話した。

 印象に残ったことを聞かれた前田は「立教大学での撮影中に学内でずっと工事をしていたので、音がうるさくて撮れない時があった。工事の昼休みの時に、今だーって感じで撮影した」。柏原は「毎日朝7時ぐらいからずっと立教大学の中にいたので、立教には詳しく(笑い)なり、学食でみんなで一緒に食事したりした。大学生の経験がないので気持ちよかった」と懐かしそうに話した。「柳町監督は実はわがままで、なまりがひどいです」という吉川のコメントに、参加者全員が笑いながらうなづいていた。

柏原収史

 犯人役の中泉は殺人のシーンについて「あの場には何も考えずにすっからかんでのぞんだ。撮影場所の雰囲気と建物の中、監督の視線を感じての芝居で、監督のビジョンにおされて動けた」と説明、柳町監督にまかせて現場に臨んだ様子が伝わってきた。

柳町光男監督

 本田は撮影時のエピソードとして「監督は即ハイ、オーケーとは言わない。いつも『ウウーン、まあいいでしょう』と。イエス、ノーはっきりしてくれ。もう1回いこうか、と思いましたね。この間が役者にとってはきつい」と話すと、ほかの4人もニコッとして思い出した様子。柳町監督はその反応に驚いたのか「予定通り撮影を終わらないといけない制約があって、オーケーと言ってしまうと終わる。どう映っているか想像していると、ほんとにいいかと思ったりして、そのしゅん巡がその間になったのかも」と話した。「俳優さんがそう思っているとは知らなかった」と笑いながら話した。

<ひとこと>

 「いったいこれから、何が始まるんだ」。次から次へと登場人物を追いキャンパスを動き回る長回しで、一気に物語に入り込んでいく。映画の冒頭は極めて重要で、最初数分でその映画への距離感のようなものが自然に作られていく。しかも、登場する学生の立場、キャラクターがうっすらと把握できるような実に計算されたオープニングである。そもそも、映画を撮る映画であり、「ベニスに死す」「アデルの恋の物語」の主人公をほうふつとさせるキャラクターなど、映画的遊びにも満ちている。

 だが、「十九歳の地図」「さらば愛しき大地」「火まつり」など重厚な人間ドラマを撮ってきたこれまでの柳町監督とは、いささかタッチが違う。学生が主人公の集団劇で、焦点がいくつにも重なっているためもあるが、特に前半は、学生たちの生態、反応、動きをジッと見極めているようなまなざしに感じる。それが、映画の製作・ロケが実際に近づき、学生が世代の近い主人公の犯人の意識、無意識を真剣に模索、思い描き始めるころから、学生たち自身の関係にも変化が見え始める。

 不条理な殺人の映画作りに入り込むほど、学生たちは自分たちの映画の主人公との距離が狭まっていく。そこからくる緊張感は学生を通して見え隠れする。ここで改めて、柳町監督が集団劇に仕立てた理由が明確に見えてくる。それぞれの学生が事件とその映画作りに、それぞれの方法で自ら向き合っていく。

 ラスト近くの殺人のシーンは、柳町監督の重厚な描写が一気にあふれ出す。ものすごい迫力で殺人に及ぶ犯人を映し出す。カメラはまさに殺人のシーンをつぶさに見せていく。しばしの間、劇中劇であることを忘れてしまうほどの迫力である。犯人の高校生を演じる中泉は犯人そのものになる。彼が感じたもの、彼の視線を観客は追体験する。

 そして、エンドタイトルが流れる向こうで、学生たちが一面に拡がった血を集め、血染めになった畳を拭いている。強烈なエンディングである。学生たちはその時何を思い、観客は何を感じるだろうか。柳町監督は学生と殺人を題材に再び観客を挑発する。【鈴木 隆】

 ※なお、「カミュなんて知らない」は東京国際映画祭期間中、10月24日にも上映の予定。12月からロードショー公開される。


 

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