江戸時代初期の芸術家で、日本を代表する美術の流派「琳派」の始祖、本阿弥光悦(ほんあみ・こうえつ)の直筆とみられる書状が14日までに、福井県永平寺町の円寿寺で見つかった。
書状には礼状や贈り物への感謝がつづられ、鑑定した日本古文書学会顧問の中尾尭・立正大名誉教授(83)は「流れるような筆跡や小さめの花押などから真筆で間違いない」と話している。
書状は縦27.5センチ、横40.5センチで掛け軸としてつくられている。長く寺の宝蔵に保管されていたが、宛名の部分が切り取られ、由来不明だった。
書状には、加賀藩祖、前田利家の側室、寿福院の依頼で妙顕寺(京都市)本堂に掛ける額の揮毫(きごう)を完成させたことに対し、礼状と贈り物が届いたことが書かれ、寿福院への謝意を伝えてほしいと記されていた。
史実と合致しているといい、側室に近く身分の高い使者に宛てたものとみられる。
光悦と円寿寺の関連は明らかではなく、調査を依頼した住職、森恵司さん(66)は「びっくりとしか言いようがない。一体どのように伝わったのか不思議だ」と話す。中尾教授は「寿福院は福井県出身。地元から京都に連れて行ったお仕えの使者が、役目を果たした後に貴重品として持ち帰ったのではないか」と推測している。〔共同〕
本阿弥光悦 1558~1637年。江戸時代初期の芸術家で「寛永の三筆」の一人と称される。刀剣の鑑定や研磨を家業とする本阿弥家に生まれ、京都に一族や職人を集めた芸術村をつくった。書以外に、蒔絵(まきえ)意匠や陶芸でも国宝に指定される優れた作品を残した。絵師、俵屋宗達の才能を見いだしたことでも知られる。