相続でもめないためには、親が亡くなる前に遺産分けの話し合いを済ませておけばいいのではないか――。そう考える方も多いかもしれません。しかし結論から言うと、あまり前のめりになる必要はありません。いくら相続人同士で生前から合意していても、その通りになる保証はないからです。
前回2月20日付「相続に『繰り越し』なし 安易な妥協は禁物」で父の相続に直面し、不動産の分け方で母と長女のB子に言いくるめられた長男のA男。いずれ引き継ぐことになる母名義の財産では万全を期さなければと、早くもB子に念を押し始めました。
A男「父さんの相続では、あの土地を譲ってやった。その代わり母さんのときには、実家を俺が引き継ぐっていう約束だからな」
B子「ええ、忘れてないわよ」
A男「疑ってるわけじゃないけど、念のため一筆もらっておいてもいいかな」
B子「大げさねぇ」
A男「まあ、そう言うな。悪いけど、ここに今日の日付と名前を書いて、ハンコを押してくれ」
B子「はいはい。心配性はこの年になっても変わらないわね」
亡くなった父は(1)実家の土地・建物(2)別の場所の土地――を所有。(1)はそのまま住み続ける母が、(2)はそこに家を建てているB子がそれぞれ相続し、A男は母が亡くなったら実家を自分名義にするということで同意しました。
しかし相続のルール上は「父の遺産でA男が分け前を我慢したぶん、母のときにはB子が譲るべきだ」という理屈は成り立ちません。もう実家はあくまで母の財産ですから、母が亡くなればその相続権はA男にもB子にも発生します。いくら同じ家族の財産だったからといって、複数の相続で「貸し借り」や、資産全体でバランスを取ることはできないのです。
とはいえ、A男の心情は理解できます。またこうした貸し借りのような場合でなくても、将来の遺産の分け方を当事者間である程度決めておきたい、というニーズは少なくないと思います。だったら相手の気が変わらないうちに一筆もらっておいたり、話し合った内容を文書にしてみんなで判をついておいたりすれば、いざというときにスムーズに事が運ぶだろうと考えがちです。
相続時の分け前を生前から話し合うのは、自分が当事者になるかも、あてにしている財産が「遺産」になるのかも分からない段階での皮算用
しかしよく考えてみると、「生前に遺産分け」という考え方には無理があることが分かります。遺産というのは文字通り亡くなった人の財産であって、生きているうちは遺産にならないはずです。自分のものになっていないうちから勝手にどう分けるかを話し合ってその気になっていても、絵に描いた餅にすぎません。
そもそも相続人という立場も、厳密にいえば親などが生きている時点では確定していません。実際に人が亡くなって相続が発生するまでは、相続人になり得る候補でしかないのです。先ほどの例でいえば、A男が母より先に亡くなってしまうこともあるからです。さらに母が生きている間に、何らかの事情で自ら実家を処分することもあり得ます。そうなれば相続するつもりになっていた財産そのものがなくなってしまいます。
つまり相続時の分け前を生前から話し合うのは、自分たちが当事者になるかも、あてにしている財産が「遺産」になるのかも分からない段階でのあやふやな皮算用だといえます。話し合った内容を実現するには、実際に相続が発生して財産や相続権などがすべて確定するのを受け、改めて相続人全員が追認するというプロセスが必要になります。
私は生前の話し合い自体を否定するつもりはありません。相続の現場でも、そういった書面を作っている家族を何度も目にしてきました。しかしそれは必ずしも果たされる約束とはいえないのです。そこを誤解したり、知らないままでいたりすると、もらえるものと安心していた財産だけにトラブルに直面したときのショックも大きくなるはずです。