大阪城(大阪市中央区)の西側で豊臣期の堀跡などが見つかり、大阪府文化財センターが16日までに発表した。堀跡付近では、石垣に使えず廃棄された石(長さ0.6~1.5メートル)など38点以上が出土。石捨て場とみられ、豊臣期や徳川期の石もあった。
うち4点には墨で丸に線を引いたマークや扇形のような印が記されていた。石工らが管理用に記した可能性があるという。
堀跡は1991年度から調査を実施。今回新たに見つかったのは、幅18メートル、長さ11メートル、深さ2.6メートルで、堀を埋め立てた土からは金箔を張った瓦や陶磁器も見つかった。
秀吉は高齢になってから豊臣家の行く末を案じ、現在の府庁付近に堀を掘削。難攻を誇ったが、大坂冬の陣(1614年)で和睦の条件として埋め立てられた。翌年の夏の陣で城は焼け、徳川家が大規模に埋め立てて城を再建した。
同センターの佐伯博光主査は「夏の陣から400年という節目の年に見つかった。大阪城がどのように造られたのかを考える一端にもなる」としている。
現地説明会は18日午後1~3時で小雨決行。〔共同〕