四大公害病の一つで「第二の水俣病」ともいわれる新潟水俣病の公式確認から31日で50年を迎え、新潟市内の多目的ホールで記念式典が開かれた。被害者や望月義夫環境相ら約300人が出席し「悲惨な公害を繰り返してはならない」と誓った。患者団体や国、原因企業の昭和電工が一堂に会した式典は初めて。
これまでに約3500人が補償や救済の対象になったが、今も手足のしびれや耳鳴りなどの症状を訴える人がおり、患者認定の申請が続いている。差別を恐れて名乗り出ないケースもあり、被害者は苦悩している。
式典で参加者は黙とう。「新潟水俣病被害者の会」会長の小武節子さん(78)は「この50年間、一日たりとも体と心が休まる日はなかった」と振り返った上で、声を上げられない潜在被害者がいることを強調。早期の全面解決を訴えた。
望月環境相は「熊本の水俣病から9年後の『第2の水俣病』を防ぐことができなかった歴史的事実を重く受け止める。悲惨な公害を繰り返さぬよう国内外に発信する」と述べた。新潟県の泉田裕彦知事や昭電の高橋恭平会長らも登壇した。
一部の患者団体は「国に全面解決を目指す姿勢がみられない」として出席を見送った。
式典に参加した患者団体の代表者らは終了後、望月環境相と意見交換。現行の患者認定制度の問題点を指摘し、全ての被害者が救済を受けることができる恒久対策の実施を求めた。
環境省によると、慰謝料などの補償が受けられる新潟水俣病の認定患者は4月末時点で702人。そのうち531人は既に亡くなっている。他に約2800人が一時金を柱とした救済策などの対象になった。医師に水俣病と診断されても国の基準で患者認定されなかったり、救済策の対象から外れたりした被害者らは国や昭電に損害賠償を求め裁判を続けている。
新潟水俣病は1965年5月31日、新潟大の教授が「阿賀野川下流域に水銀中毒患者が散発している」と新潟県に報告し、公式確認された。〔共同〕