1945年8月の旧ソ連軍侵攻まで北緯50度以南が日本統治下にあった樺太(現ロシア・サハリン)と北海道を結んでいた電報・電話用の海底ケーブルが戦後70年を経て、北海道猿払村沖のホタテ漁で揚がるようになっている。研究者は「貴重な歴史遺産」と主張するが、漁業者にとっては危険な廃棄物で、見方は正反対だ。
猿払村沖のケーブルは計5本。直径約6センチで銅線の周りに鉄が巻かれている。猿払村と宗谷海峡を隔てた約160キロ先の樺太・女麗(現プリゴロドノエ)などと結び、終戦時に約40万人の日本人が住んでいた樺太と北海道をつなぐ通信の大動脈だった。
このケーブルが「作業員や船体を傷つける可能性がある」と猿払村漁協の清水泰開発研究室長(42)は頭を悩ませる。ホタテ漁は鉄製の爪付き漁網で海底を引きずりながら行う。長年の漁でケーブルは切断され、断面が鋭く枝分かれし、回収作業ではけがをしないように細心の注意を払う。
ケーブルは約15年前にホタテを採りやすいように爪の角度が異なる漁具に変更してから揚がり始めた。ケーブルの設置場所は当時の海図にも載っているが、海流で移動しているため現在の場所の特定は難しい。銅や鉄でできたケーブルは重く、小さな漁船では回収中に転覆する危険性もある。回収後は廃棄物か鉄くずに回される。
猿払村漁協は独自回収と並行し、戦前にケーブル敷設をした旧逓信省の流れをくむNTTの関連企業にも撤去を依頼。これまで計4回で約10トン分を回収したが、清水さんは「ホタテ漁の海域にあるケーブルのうち、まだ10%も回収できていないのではないか」と話す。
一方で、猿払村の隣の稚内市にある稚内市北方記念館の斉藤譲一学芸員(41)は「ケーブルは歴史的に貴重な資料。稚内でぜひ展示したい」と話す。終戦まで樺太との連絡船の発着港だった稚内市は樺太とのつながりが深く、樺太関連資料を数多く所蔵している。
昨年にはケーブルがNTT関連企業から記念館に寄贈され、市内の商業施設で約5カ月間展示。今後は記念館での常設展示を検討する。
清水さんは「地域の歴史として捉えることも必要だが、漁には邪魔なので回収は粘り強く続けていく」と話している。〔共同〕