2004年に起きた新潟県中越地震の記憶を伝える「遺構」が岐路に立っている。被害の大きかった山古志村(現長岡市)に残る水没家屋は腐食が進み、地震に耐えた手掘りのトンネルは崩落の危険があるとして通行止めに。23日で発生から11年。地元では保存に向けた機運が高まる一方、つらい記憶を観光資源として残すことに複雑な思いを抱える住民もいる。
長岡市の職員らが水没家屋の保存に向け9日、現地調査に入った。山古志村の木籠集落は、土砂崩れで川がせき止められて一時水没し、現在は2棟の空き家と倒壊家屋の屋根などが点在する。
調査には県の復興基金約2700万円を充てる。保存計画を決めるほか、傷みが激しい屋根の補強も行う。市の担当者は「地震の記憶を伝えるモニュメントとして残したい」と説明する。
一帯は地震後、メモリアルパークとして整備され、視察や観光の拠点となった。年間2万人ほどが訪れるという。
かつての住民からは歓迎と戸惑いの声が上がる。自宅だった3階建ての家屋が保存対象となった松井キミさん(71)は「残さなければ、中越地震は忘れられてしまう」。一方、公営住宅に移り住んだ上田久江さん(76)は「当時、十分な公的補償を受けられなかった人もいる。今になって壊れた建物の保存に多額の税金を使うなんて」と戸惑いを隠せない。
地震を乗り越えた山古志の「誇り」にも老朽化の壁が立ちはだかる。
魚沼市に抜ける中山隧道(全長877メートル)は、豪雪で隔離された住民が16年をかけて1949年に開通させた国内最長の手掘りのトンネルだ。地震の被害はほとんどなかった。
2012年に笹子トンネル(山梨県)で起きた天井板崩落事故を受け、昨年秋に長岡市が点検。壁面が剥落する恐れがあるとして、今年4月から通行止めとなった。入り口にあるノートには「通れなくて残念」などの書き込みが目立つ。
市は近く、トロッコや横穴が残る山古志側から67メートル地点までの補強工事を行い、来春に公開する方針。ただし、トンネル全体の補強には数億円がかかるといい、方法を模索している。
近くに住む「中山隧道保存会」の小川晴司さん(78)は「手で掘ったからこそ、地盤を傷つけることなく、頑丈なトンネルになった」と説明。「つるはしの跡が見える所を公開し、多くの人に山古志の強さを感じてほしい」と話した。
▼新潟県中越地震 2004年10月23日、新潟県川口町(現長岡市)を震源とするマグニチュード(M)6.8の地震が発生。最大震度7を記録し、県内の68人が死亡した。大規模な土砂崩れなどでライフラインは寸断され、山古志村(現長岡市)では一時、全村避難を余儀なくされた。〔共同〕