吉川英治=1962年、東京・赤坂の自宅で
■文豪の朗読
《吉川英治「宮本武蔵」 本郷和人が聴く》
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井伏・川端…文豪たちの自作朗読、ソノシート用に録音
「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを」。かかる名文で閉じられるこの朗読は、大作『宮本武蔵』の末尾に位置する、巌流島の決闘を再現する。
沼田という、大名・細川家の重臣がある。教養人として著名な細川幽斎の正室を出した。同家に『沼田家記』という資料が残されており、ここに武蔵と小次郎の勝負が記される。研究者・吉村豊雄氏によればそれは信頼性の高い記事であるらしい。
『沼田家記』はいう。二人は細川家(当時は豊前の大名)の城下町・小倉で「兵法の師」をしていた。あるとき、両方の弟子たちが師の優劣を主張して争ったことがきっかけとなり、彼らは彦島(巌流島)で試合をすることになった。武蔵が勝ちを制し、小次郎は木刀で打たれて気絶するが、やがて蘇生する。すると、一対一の勝負という約束を破って試合の場に来ていた武蔵の弟子たちが、よってたかって小次郎を殺害してしまった。