母親によじ登って抱きつく長男=伊藤進之介撮影
「もっと焦ってよ」
夫との会話にとげが立つようになったのは、妻が40歳を控えたころだ。産める期限が迫っていると感じていた。排卵日と夫の出張が重なれば、特急電車で2時間かけて宿泊先のホテルに駆けつけた。
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九州に住む夫婦が、不妊治療を始めたのは結婚3年目。会社員の夫は42歳、小学校教諭の妻は38歳だった。1回2万8千円の人工授精を何度か試した。妊娠を強く望む妻に夫は重圧を感じ、次第に性行為に消極的になっていった。
体外受精に切り替えたのは治療が2年を過ぎたころだ。1回約30万円。満期になった妻の生命保険の200万円が尽きるまで、と決めて福岡県北九州市の病院に変えた。
注射と点鼻薬を使って卵胞を育て、妻は41歳の誕生日に初めて採卵した。10個の受精卵が培養され、凍結胚(はい)として病院に保管された。医師からもらった紙には胚のイメージ画像が載っていた。初めて夫婦の子ができたと感じ、自宅で何度も見返した。「この子たちがいる」と思うことが妻の心の支えだった。
その凍結胚を子宮に戻し、妊娠。2カ月の時に出血があり、治療先で入院した。同室にいた同年代の患者3人と、治療経験を打ち明け合った。
「採卵は多くて2個。採れないこともある」「この妊娠が最後の凍結胚」。妻が7個残っていると明かすと、口々にうらやましがられた。
翌年長女が生まれてからだ。病室の会話が気になりだした。長女をいとおしく思うほど、残した凍結胚を思い出した。「もし別の胚が選ばれていたら」と何度も考えるようになった。
治療仲間から「次はどうするの?」と聞かれると、「今の子育てが落ち着いてから考える」と受け流した。夫婦とも仕事が忙しく、蓄えも十分とは言えなかった。妻は年齢的な限界も感じていた。心のどこかで「もう生理が来なければ悩まなくてもいいのに」とも考えた。
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