蜷川幸雄さんの歩み
演劇の最前線で挑戦し続けた「世界のニナガワ」、演出家の蜷川(にながわ)幸雄さんが12日逝った。英国、ギリシャなどの海外公演でもメディアから評価を得る一方、藤原竜也さんや宮沢りえさんら多くの俳優を導いた。さいたま市の彩の国さいたま芸術劇場を活動の拠点に、演劇への市民参加の道筋をつけた。
演出家の蜷川幸雄さん死去 80歳「世界のニナガワ」
蜷川幸雄さん逝く
「ものすごいエネルギーの人だった。これと決めるととにかく突き進む。初めて蜷川さんの舞台を見た16歳の時から僕のヒーローだった。頭で考えた見せ方が圧倒的。昨夜(11日夜)、病室を訪ねると、ベッドのそばに台本が3本あってすごいなと思った」。劇作家の野田秀樹さんは12日夜、東京・池袋の東京芸術劇場で記者団に語った。
蜷川さんは昨年12月中旬、舞台の稽古中に体調を崩して入院。軽度の肺炎と診断された。今年1月からは新作戯曲の稽古に入る予定だったが、回復が遅れて上演を延期。5月開幕のシェークスピア喜劇の稽古に備えて体調を整え、病院で打ち合わせを重ねていたが、体力が戻らなかった。
長女で写真家の蜷川実花さん(43)はSNSに「今日、父が逝ってしまいました。最期まで闘い続けたかっこいい父でした。父の娘でいられたことを誇りに思います」と書き込んだ。
悲報を受け、俳優や演出家たちから哀悼の言葉が相次いだ。大竹しのぶさん、宮沢りえさん、狂言師の野村萬斎さん、阿部寛さん……。みな蜷川さんから膨大な演劇の力を吸収した俳優らだ。
「存在が大きすぎて、亡くなったということが実感できません」と語るのは俳優の平幹二朗さん。平さんが出演した舞台「王女メディア」はギリシャなどでも上演された。「大きく花開いていった相棒のような存在だった」と振り返った。
蜷川さんが1997~2015年に10作を上演したロンドンの「バービカン劇場」演劇部門ディレクター、トニ・ラックリンさんは12日、朝日新聞の取材に「劇場スタッフや観客、他の演劇関係者にとって大きな損失だ。彼の作品を何年にもわたって上演できたことは幸せで光栄なことだった」との談話を寄せた。AFP通信は「シェークスピア劇の翻案で世界的に知られた日本人演出家が死去した」と速報。「1985年のエディンバラ祭での『サムライスタイルのマクベス』によって国際的な名声を得た」と紹介した。
出身地・川口市がある埼玉県でも、蜷川さんは精力的に活動した。彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督に就くと、高齢者劇団「さいたまゴールド・シアター」のほか、若手の「さいたまネクスト・シアター」も設立。無名の俳優を起用した演劇制作に力を注いだ。
「さいたまゴールド・シアター」の男性最高齢、高橋清さん(88)は3月にメンバーと病院に見舞ったのが、蜷川さんに会った最後だという。「『蜷川さんのお陰で元気になった』と言ったら、『俺も頑張るからな』と言っていたのに……」と話した。