自宅近くの公園で遊ぶ本郷優希さん(左)と妹。後ろは由美子さん=1999年撮影、由美子さん提供
児童8人が殺害され、15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の事件は8日で発生から15年を迎える。「大切な人を失った苦しさを知っているからこそ、誰かを支えたい」。家族を亡くした遺族、負傷した被害者はその思いを胸に、いまを生きる。
2年生だった本郷優希さん(当時7)を事件で亡くした母の由美子さん(50)は、5月から学童クラブで小学生に囲まれている。
優希さんは教室で刺された。あきらめずに助けを求め、廊下を39メートル進んだところで力尽きた。廊下には点々と続く血の痕があった。
事件後、由美子さんは死を考えたこともあった。そんな時、同じように事件や事故で子どもを失った人たちが「頑張らなくていいんだよ」と言葉をかけてくれたり、何も言わず手を握ってくれたりした。「私は一人じゃない」と救われた。
2005年に傷ついた人の心をケアする「精神対話士」の資格を取った。子どもを事故で失った親、病院で終末期医療を受けている人……。話にじっと耳を傾け、安らぎを取り戻す支援をする。14年に東京へ移った後も東日本大震災の被災者と交流を続けている。「事件を経験し、生と死に向き合った。私も苦しんでいる人の支えになりたい」
今春、優希さんの同級生の多くが社会人になった。「優希ちゃんも今頃、夢だった学校の先生になっていたかも」。自身も50歳の節目を迎え、子どもに接する学童クラブの指導員をしたいと思った。都内で募集があり、すぐに手を挙げた。