西田幾多郎旧宅、取り壊し直前の間取り
哲学者西田幾多郎(きたろう、1870~1945)が大正時代に住んだ京都市左京区田中上柳町の住宅の取り壊しが決まり、8日に解体作業が始まった。ここに、のちに京都学派と呼ばれる人々が集った。思索にふける西田が往復したという2階の廊下と書斎の一部は、京都大学総合博物館などで保存されることが決まった。
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木造2階建て延べ約179平方メートル。西田が教授を務めた京大の近くで、1900年ごろ建てられたとみられる。最近まで賃貸されていたが、マンションに建て替えられることになった。
西田が初期の代表作「善の研究」を出版した翌年1912(大正元)年に借りて入居し、10年間暮らした。西田にあこがれ一高から東大ではなく京大に進んだ三木清や、西田が東北帝大から招いた田辺元らが出入りし、やがて京都学派と呼ばれることになる。学習院大教授時代の教え子で民芸運動創始者の柳宗悦(やなぎむねよし)、京大で保証人をした近衛文麿、三井財閥の三井高棟(たかみね)・高公(たかきみ)親子らも訪れた。
保存が決まった2階の書斎(6畳)は、西田の寝室も兼ねていた。書斎から続く10・8メートルの外廊下には手すりがある。南側の内庭越しに、「五山送り火」の「大文字」を望む。