地震で被害を受けた藤崎台県営野球場
熊本地震では、「熊本の甲子園」と呼ばれる藤崎台県営野球場(熊本市中央区)も被害を受けた。夏の全国高校野球選手権熊本大会のメイン会場として利用され、地元の球児にとっては憧れの舞台。開幕予定まで1カ月を切った今年の大会で球場が使えるかどうか、関係者は見守っている。
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青いビニールシートに覆われた外野スタンドのフェンス。天井が崩落した内野席の通路――。熊本城公園の一角にある球場は、今も地震の爪痕が所々に残る。
熊本県によると、左翼スタンド後方のフェンスは、約80メートルにわたって根元の石垣が崩れた。バックスクリーンは真っ二つに折れ、上半分が地面に倒れた。ナイター用の照明設備には、ランプの破損や部品の落下が見つかったという。
また、メインスタンドの屋根を支える鉄骨も、地震の影響で8本が曲がった。これから強い余震が起きても屋根を支え続けられるか、曲がった鉄骨を交換しなければいけないか、県が慎重に調べている。
ただ、グラウンドに大きな被害はなく、天然芝は地震前とほぼ同じ状態を保っている。県は、壊れたフェンスや通路など危険な場所は閉鎖すれば大会開催に支障はないという見方だが、最大の懸念はメインスタンドの屋根の耐震だ。県体育保健課は「安全の担保が最優先。7月に使用できるか、しっかり点検して結論を出したい」としている。
藤崎台は、熊本国体が開かれた1960年に完成。両翼99メートル、中堅122メートルで、完成当時は際立って大きな球場だった。外野スタンドに大きくそびえる7本のクスノキは、西南戦争の戦火を耐え抜いたと言われる国の天然記念物。ソフトバンクの王貞治会長が、現役最後の本塁打を80年の秋季オープン戦で放った球場でもある。
阿蘇の火山灰の地層の土を使い、梅雨と重なる高校野球の時期も水はけがいい。80年の熊本大会では、八代の秋山幸二(前ソフトバンク監督)と熊本工の伊東勤(現ロッテ監督)が決勝で対戦。六回に秋山、七回には伊東がアーチをかけた熱戦は、今もファンの語りぐさになっている。
この夏、藤崎台で試合ができなければ、7月10日に開幕予定の熊本大会は県営八代、山鹿市民の2球場が会場になる見通しだ。県高野連の工木(くぎ)雄太郎理事長は、「安全の確保を大前提に、できれば選手たちには藤崎台で夏を迎えさせてあげたい」と話している。(波戸健一、大森浩志郎)