東京五輪エンブレムが掲げられたドアから都庁を後にする舛添要一都知事=15日午後8時43分、金川雄策撮影
舛添要一氏は、赤貧の少年時代から苦学して大学に進学し、人気政治学者として活躍。一時は、首相候補とまで言われた。立志伝を地でいくキャリアだったが、批判してきた「政治とカネ」で退場を迫られることになった。
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北九州市出身。中学2年で父をがんで亡くし、奨学金を得ながら、高校、東京大へ進んだ。ブログや著書などによると、「一日も早く貧しさからぬけ出したい」と、裸電球の下で勉強したという。
福岡県立八幡高校で同級生だった男性(67)によると、成績はいつも学年トップ。陸上部でも短距離競技で活躍していた。「文武両道とは舛添君を指す言葉。今回のことはとても残念だ」。舛添氏を指導した元教諭の男性(83)も「悲しい。引き際がよくなかった」と声を落とした。
子ども時代に近くに住んでいた北九州市の70代男性は「秀才だが全然威張らず、物静かで親孝行だった」と振り返る。高校に入っても石炭用の木箱を勉強机にしていたことは、近所でも有名だったという。
「信なければ立たず。残念だがやむを得ない。自ら辞職し都政の混乱を防いだのはよかった」と話した。
1979年から東大助教授に。80年代以降、テレビの討論番組に度々出演し、舌鋒(ぜっぽう)の鋭さで人気を博した。ゼミで2年上だった田中善一郎・東工大名誉教授は「リポートに文章力があり、面白かった。大学に残り研究を続けると思っていたが、テレビで人気が出たからでしょうか……」。