朝日ソノラマのアニメソノシート
ソノシートと聞いて、どんなイメージをお持ちですか。ペラペラなシートを折り曲げてしまった懐かしい世代もいれば、見たこともない若者も多いでしょう。歴史をひもといてみます。
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■音の出る雑誌、当初は「ニュース」で
「これまでの雑誌はただ読んで見るだけのものでしたが、こんどはその雑誌から音が出るのです」
1959年12月に創刊した月刊誌「朝日ソノラマ」を、当時の朝日新聞はそんなふうに紹介する。朝日新聞はフランスのソノプレス社と提携して、安価に大量生産できるレコード製作に乗り出す。「ソノシート」は朝日ソノラマの商標だったが、「フォノシート」などの名称で各社も同時期に発売を始めた。
ニュース音声や季節の歌など様々なソノシートが付いた朝日ソノラマ。「創刊号は予約が殺到したため、発売後すぐ売り切れるところもある」。発売前の朝日新聞はそう伝えた。だが、「人気は長続きせず、けっこうな赤字を抱えていたようだ」と当時、朝日ソノラマ編集部にいた平野善一さん(81)は言う。暮らしが豊かになるなか、大人向けとしては音質を含めて安っぽさが目立っていく。
■「鉄腕アトム」放送開始で、一変
雑誌だけでなく、映画音楽など様々な企画もののソノシートも販売していた。そこに低迷を打ち破る、ヒットジャンルが生まれる。1963年に「鉄腕アトム」のテレビ放送が始まり、アニメブームにソノシートが乗ったのだ。
朝日ソノラマを発行していた「朝日ソノプレス」(後に「朝日ソノラマ」)からアトムのソノシートを売り出すと大ヒット。続けて「狼少年ケン」「オバケのQ太郎」などのソノシートを発売、子どもの心をわしづかみにする。
通常のレコードに比べて値段も手頃だったが、人気の理由はそれだけではない。「情報量が圧倒的に多いメディアだった」とソノシートに詳しい収集家の水落隆行さん(53)は言う。
最初期は歌だけだったが、ドラマパートも加えるというスタイルが確立していく。さらに、ストーリーに合わせた挿絵をふんだんに盛り込んだ冊子が付く。
アニメのソノシートを手がけた朝日ソノラマ元社員の村山実さん(79)が、自身が手がけた「鉄人28号」を例に、ソノシートの製作過程を説明してくれた。
ストーリーはテレビにないオリジナルで、開業したばかりの新幹線を題材にしようと企画した。テレビの脚本家に書いてもらい、テレビの声優たちが声を吹き込む。さらに挿絵は、原作者の横山光輝さんに頼んだ。
66年にウルトラシリーズが始まると怪獣ブームが起こり、特撮モノもよく売れた。子ども向けのソノシートの発行は、このころピークを迎える。
■学習雑誌に活路
「テレビアニメをいつでも好きな時に楽しめる最適のアイテム」(水落さん)だったソノシートだが、その後はテープレコーダーの普及やテレビの再放送の増加に伴い、人気は下降。しかし、ソノシートは学習雑誌の付録などとして、80年代ごろまでは子ども向けに一定の需要を保ち続ける。
ソノシートが培った文化的土壌はその後、違った形で引き継がれていく。
朝日ソノラマは75年、現在のライトノベルの先駆けとも言えるソノラマ文庫を創刊。SFや怪奇ものを中心に若年層向けの小説ジャンルを開拓していく。こうした出版にもかかわった村山さんは「ソノシートで関わった脚本家に書いてもらった作品も多い」と話す。村山さんはさらに80年に創刊された特撮専門誌「宇宙船」の初代編集長に就く。
村山さんは言う。「ソノシートは時代のあだ花だったけど、夢中になった子どもが長じて今で言うオタクになった。日本のポップカルチャーの礎の一端になったのかもしれませんね」(宮本茂頼)