「野球ノート」を手にする筑前の秋山健太郎主将=福岡市西区
「甲子園に行ってくれ」。がんで亡くなった父と交わした約束を果たそうと、頂点を目指す選手がいる。筑前(福岡市)の主将、秋山健太郎君(3年)。父が生きたかった時間を全力で野球に打ち込むと決めた。思いを胸に、9日の高校野球福岡大会開幕を待つ。
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《自分が部活をしているとき、授業を受けているときの1分1秒は父が何としても生き続けたかった(中略)1分1秒です。自分が生きている限り、特にこの野球人生は一瞬一瞬に全力を注いでいきたい》
日々のトレーニング内容などを記す「野球ノート」に健太郎君がこう記したのは2月25日。父、大輔さん(享年46)が亡くなった6日後のことだった。
会社勤めの大輔さんが単身赴任先の大阪から福岡に戻ってきたのは中学3年の頃だった。体調を崩したためだが、「治す」と明るく振る舞う様子に、健太郎君は疑いを持たなかった。本当は医師から「余命半年」を宣告されていた。末期の膵臓(すいぞう)がんだった。
だが、自宅で家族に囲まれて暮らし始めた大輔さんの余命は医師の宣告を大きく超えた。
健太郎君が高校に進学して野球部に入ると、体調が落ちついたときは、自宅で球をトスして打撃練習を手伝った。練習試合の観戦にも出かけた。昨夏、新チームの主将に選ばれた時には「頑張れ」と励ました。
だが、今年に入り、大輔さんの体調が悪化。試合の観戦にも来られなくなった。前後して健太郎君は父の病状の深刻さを初めて知らされた。
「夏の大会を見たい。それまで頑張る」。大輔さんは妻の知子さん(46)に話していた。
亡くなる約1週間前、健太郎君は大輔さんに呼ばれた。「おまえは長男だから、頼むな」。野球のことも気にかけてくれた大輔さんに「絶対に甲子園に行くから、見といてね」と伝えると、「最後まであきらめるな。甲子園に行ってくれ」と励まされた。
だが、2、3日後。それまで決して弱音を吐かなかった大輔さんが、涙を流しながら息子に言った。「夏の大会が見たかった」
亡くなる前夜、それまで寝ずに看病していた母に代わって、健太郎君が一晩中看病した。意識がもうろうとなりながら痛みに苦しむ父に寄り添った。翌日、家族全員でみとった。
葬儀後、健太郎君は一度も涙を流していない。家族を守り、甲子園に行くという覚悟ができたからだ。周囲には気丈に振る舞い、中学3年の弟には父親代わりに叱ったり、声をかけて気遣ったりしている。父のことを思い出すと集中できなくなるが、悲しみやつらさは野球に没頭して紛らせている。
「父は悔し泣きをしながら、生き続けたいと言っていた。生きたかった分の時間を全力で野球をしなければ」。今、野球ノートには目標の「甲子園ベスト8」と書き続けている。10日に初戦を迎える。(伊藤繭莉)