中央にあるのは「最後の晩餐(ばんさん)」=佐藤慈子撮影
28日から始まる「第52回京都非公開文化財特別公開」で、「生神女福音(しょうしんじょふくいん)大聖堂」(京都市中京区柳馬場通二条上る6丁目)が初めて開かれる(30日と11月6日の午前は案内なし)。「京都ハリストス正教会」の別名で知られる明治の木造建築で、聖者などを描いた多彩な宗教画や聖器物を有する。この特別公開にキリスト教の文化財が加わるのは初めてだが、「本家」のロシアにもほとんど残っていない貴重なもので、保存・修理が急がれている。
秋の京都文化財特別公開
白壁と薄緑色の銅板ぶき屋根を持つ教会は1903(明治36)年に内装なども含めてすべて完成した、ロシア・ビザンチン様式の聖堂。設計監督をしたのは京都府庁の旧本庁舎や旧武徳殿も手掛けた府の技師、松室重光だった。
内部でひときわ目を引くのは、正面にある聖障(せいしょう、イコノスタス)だ。大小30面の聖画(イコン)をはめた壁で、尖塔(せんとう)と柱を模した装飾豊かなパネルが美しい。
イコンは神や聖人、聖書の物語を金属板に描いた油彩画。いずれもロシアからもたらされた。一つひとつを見ていくと、仏や祖師、その伝記に心のよりどころを求める思いと変わらない信仰心を感じることができる。
聖匙(せいひ、さじ)、聖戈(せいか、パンなどを切り分けるナイフ)、大十字架などの聖器物もロシアから来た。また、日露戦争で捕虜となったロシア人たちが献納したイコンも掲げられていた。
しかし、100年以上の時は容赦してくれない。イコンはところどころに彩色の剝落(はくらく)が見られる。一部にはなにかに激しくこすられたような傷もあった。
「太平洋戦争の時のものです」と及川信・長司祭は言う。
教会は疎開を迫られ、イコンの一部が取り外され、荷造りまで進んだ。そこで終戦。混乱の中で傷められたらしい。
建物自体も危うい。社寺のように軒の出が深くないため、まともに雨風にさらされた壁に水分が染みこみ、内部の木材をむしばむ。1987年、99年に大規模な修理を受けたが、懸念を完全にぬぐい去るのは難しい。
「ロシアでは、ソビエト時代に同じような教会が弾圧され、ほとんどが取り壊された。その意味でも貴重な文化財だと言えます」。及川さんはそう話している。(文 編集委員・小滝ちひろ、写真 佐藤慈子)