黒田投手のグラブには、背番号と名前が刺繡(ししゅう)され、「感謝」の文字が刻印されていた=上田幸一撮影
現役ラストシーズンとなった今季、プロ野球広島の黒田博樹投手(41)は、グラブに1人の名前を刻んでいた。プロ生活20年間、グラブ製作を託した西岡将行さん(66)=奈良県三宅町=だ。西岡さんは一度引退を決めながらも、黒田投手の強い希望で、現役を続けていた。
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「made by M.Nishioka」。グラブの手首にかかる内側部分に隠れるように書かれている。黒田投手が今季開幕前に申し出た。「引退を撤回してまで、自分に合ったものを一生懸命作ってくれている。それならぜひに、と思った」。西岡さんは「思いもしていなかった。誇らしい。今までやってきたことは間違いなかった」と感謝する。
黒田投手はプロ入りから一貫して、スポーツ用品メーカー「SSK」(本社・大阪市)のグラブを愛用している。SSKは数社の工場でグラブを生産しているなかで、黒田投手のグラブ製作を西岡さんに発注した。面識がない2人の縁は、こうして生まれた。
西岡さんは高校卒業後、家業の工場を継いだ。市販の製品だけでなく、楽天の松井稼頭央外野手(41)や阪神の今岡真訪(まこと)2軍コーチ(42)らプロ選手からの特別注文にも対応していた。
年間1千個以上のグラブを製作していたが、5年前、従業員の高齢化もあり、一度は廃業を決めた。そこで製作のノウハウをSSKに伝えた。だが、他のどの職人が同じ型、同じ素材で作ろうと、黒田投手は「はめた瞬間に違う人が作ったと分かった」と言う。投手の繊細な感覚に影響する商売道具に妥協はしなかった。
グラブは全て手作り。素材のどの箇所をどう使うか、目利きも大事になる。切り方、縫い方にも個性が出る。西岡さんは「黒田選手のファンでもある。できる範囲でやらせてもらいたかった」。それからは年に10個ほどの黒田グラブに限り引き受けていた。「形や革の好みが20年間変わらなかった。一本芯が通っていた」。その姿勢は野球人生と重なって映った。
48年続けたグラブ職人を今季限りで引退する。「すーっと肩の荷が下りた。本当にやりきった。黒田選手と一緒です」。同じく最高の引き際と感じている。(吉田純哉)