イランのラフサンジャニ元大統領=14年7月、テヘラン、神田大介撮影
イランメディアによるとラフサンジャニ元大統領が8日、死去した。82歳だった。死因は不明だが、心臓の問題で同日、テヘラン市内の病院に緊急搬送されたと報じられた。1979年のイスラム革命を率いた故ホメイニ師の右腕として活躍、89年から97年までの2期8年、大統領を務めた。国教とするイスラム教シーア派の教えにこだわらない現実的な政策をとり、現代イランの政治体制を確立した。
「穏健派の要」失ったイラン 反欧米の保守強硬派に勢い
34年、イラン南東部バフラマン生まれ。早くからホメイニ師に師事し、革命後は内相、国会議長を歴任。イラン・イラク戦争(80~88年)では軍の最高司令官代理を務めた。大統領としては戦争で疲弊した経済の復興を最優先に掲げ、自由経済を推進。欧米やアラブ諸国との融和を進め、禁止されていた音楽、映画など表現の自由や、女性の権利の拡大に力を入れた。
一時は最高指導者ハメネイ師をもしのぐ権勢を誇ったが、05年に再出馬した大統領選でアフマディネジャド前大統領に「地位を使って蓄財している」と批判され敗北。09年の反体制デモを支持してハメネイ師の不興を買い、失脚した。
だが、前大統領とハメネイ師の関係悪化で復権。13年の大統領選は立候補を許可されなかったが、ロハニ大統領の後見人となり、当選に導いた。融和外交や外資の積極導入など、ロハニ政権の主要政策に大きな影響を及ぼした。
16年2月の選挙では、最高指導者の任免権を持つ機関、専門家会議にテヘラン選挙区からトップ当選。変わらぬ存在感を見せた。立法上の意見対立を調整する機関、公益評議会の議長も務めていた。(テヘラン=神田大介)