宮川ハルビン総領事について語る佐藤優氏=東京都内、藤田直央撮影
モスクワで1950年に獄死したとされる外交官の消息の一端が、外務省による12日の外交文書公開でわかった。中国東北部の日本の傀儡(かいらい)国家・満州国にハルビン総領事として赴任し、敗戦直後にソ連軍に拘禁された宮川船夫氏。「非常に尊敬する」という元外交官で作家の佐藤優氏に、記録を読み解いてもらった。
ソ連に拘禁され獄死、悲劇の外交官 邦人保護に奮闘
――終戦前後の満州国・ハルビン総領事館員らの状況に関する文書が公開されました。ソ連軍が侵攻し、ハルビンは陥落。宮川船夫総領事については「在留民保護のため狂奔した」などと記され、モスクワへ連れ去られる直前の様子がうかがえます。
一番感銘を受けたのは、1945年8月の終戦間際にソ連軍がハルビンへの攻撃を始めた頃、「哈爾浜(ハルビン)を非武装都市として宣言するよう(現地の関東)軍に要請」という記載だ。今までいろいろな外交官の手記を読んだが、こうした交渉をしたという話は初めてだ。
日本人に限らずハルビンの住民を1人も戦火の犠牲にするまいと、国際法上の無防備都市と宣言し、攻撃を避ける無血開城を主張した。自国の軍に降伏を求めるのは命がけだが、実現していれば多くの人を救えた。国際法に通じ、腹がすわっている。外交官のかがみだ。
――ソ連は終戦直後に総領事館…