クレーン車の鉄球で山荘は破壊され、警官隊が突入した=72年2月28日午前11時10分、あさま山荘
45年前、長野県軽井沢町の保養施設で、過激派グループが女性を人質に立てこもった。連合赤軍による「あさま山荘事件」。警察との攻防は10日間に及び、警察官ら3人が犠牲に。過激派が仲間12人を殺していたことも明らかになった。山荘に突入した警察官、連合赤軍の元メンバーに話を聞いた。
人質救出と犯人逮捕のため、山荘に踏み込んだ警察の「決死隊」の一人、仲田康喜(こうき)さん(80)は当時を鮮明に記憶している。
発生10日目の2月28日、突入作戦が始まった。クレーン車につった鉄球が山荘の壁をぶち抜く。外では機動隊の2人が銃撃されて命を落とし、警察は態勢の立て直しを迫られる。
警視庁から仲田さんら2人、長野県警から2人、計4人の先陣班が編成された。「大勢ではとても入れない」と隊長は意図を説明したという。
4人は3階に突入。調理室から流し台を飛び越え、談話室にたどり着く。人質と過激派メンバーがいるはずの「いちょうの間」はその先だ。入り口に踏み込んだ途端、奥からババーンという音とともに火花が噴いた。2枚重ねにした盾に銃弾が次々当たる。一緒にいた隊員が顔を撃たれ、自分も顔が熱くなった。やられたと思ったが、壁の破片が当たったようだ。数メートル奥から銃口が火を放ち続ける。「いったい何丁、何発あるんだ」
相手に撃たせないよう、後方か…